和菓子の会 ご報告

422日、井上由理子講師による和菓子の会「芸能と和菓子」を催しました。

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まずは春の踊りの季節によせて、「都をどり」を始め、京都の五花街の踊りと、その折に出される花街ごとの「じょうよ饅頭」の意匠を。

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そして、今日の本題、狂言にでてくるお菓子。
「菓争(このみあらそい)」や「業平餅」「附子(ぶす)」といった狂言やそこに出てくるお菓子を紹介していただき、
その成り立ちやその時代の菓子について学びました。
古典芸能に精通しておられる井上先生ならではのお話です。

芸能とお菓子の歴史には密接な関係があるのですね!
そして当時をしのばせるお菓子を実際に試食。

「醒井餅(さめがいもち)」は米どころ近江の水と米が成せるわざ。
美味しいかき餅です。ぱりぱりという食感、こうばしさが口いっぱいに広がります。

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菊水飴は水あめ。
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醍醐寺三宝院門跡から菊の御紋の暖簾と和歌を賜り、菊水飴と称した由緒があります。

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砂糖を使わない製法。やさしいお味です。
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さて、いよいよこの時期の和菓子をご紹介いただきました。

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この時期は弥生の「菜の花」、
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そして「桜」のさまざま、
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               しだれ桜
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                 花筏
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                花月夜
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                春の水
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                 春水
「若葉」や下の「新芽の香」といった新緑の頃の菓子、
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また、「藤浪」や「胡蝶」、「岩根のつつじ」など春の盛りへと向かう意匠が揃うそうです。

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                                 野花
さて、井上先生のお話の後は、今日の花街のお菓子をふまえて、和菓子プチ体験コーナーを試みました。

じょうよ饅頭をヒントに、ご参加の皆さんに、三種類の食紅と木の芽を使い、それぞれのお菓子を作り上げていただきました。

さて、構想は?
 

皆さん、どんなデザインにしようか迷われるかと思いきや、すぐに取りかかられました。
集中力すごいです。熱心!

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好みの色をつくり、配色を考え、黒文字や爪楊枝などで思い思いに、自由な筆運び。
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銘をつけて完成です。
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前日の「上賀茂神社」講座から着想されたのでしょうか。
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銘もさまざまに─
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蛸…法華経の功徳あり。
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季節を感じて─
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皆さんの思い描く春の景色。好きな草花。

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春のイメージが映されて…。
皆さんの感性、素晴らしいですね!

全部をご紹介できないのが残念です。


この体験コーナー、じつは想像以上に盛り上がりました!


いよいよ最後は堤講師の小咄です。
和菓子は手のひらに載る小さな世界ですが、きょうのお話は「日本の尺度」について。
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一尺、一合、一石、一反、一貫、一尋…の語源を皆さんに伝授。
日本の寸法は身体尺といって人の体が基本になってできているのだそうです。
なるほど! 聞いたら人に話したくなる話。


井上、堤両先生と皆さんの楽しい時間はあっという間に過ぎ、和菓子の会は
無事お開きとなりました。


京都・清遊の会は、皆さまと講座や現地で学び、時には参加し体験する、そんな会でありたいと願っています。
皆さまのご参加を心よりお待ちしております。

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清遊ブログ 宮島紀行

ようやく桜の便りが聞かれる頃となりました。
京の遅い春を待ちかねて、でもないのですが、瀬戸内、安芸の宮島へでかけました。
宮島は日本三景の一つ。
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島には平清盛と平家一門の崇敬をうけた厳島神社があり、清盛が納めた「平家納経」でも知られています。

広島から宮島口まで移動し、宮島口からフェリーで宮島へ。
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                        宮島口の蘭陵王像

快晴。暖かい風に吹かれ船上は快適です。

ほどなく大鳥居とそして背後に山々が見えてきました。
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この姿、観音様の横顔に見えるのです。
左から額、くぼんだ所が目、そして鼻…。おわかりいただけたでしょうか?
堤先生に教えていただいた折りにはよくわからず出かけたのですが、帰って写真を見て理解できました(笑)
湾の入り江にそびえる朱塗りの大鳥居、その奥に海にうかぶ朱色の社殿が見えてきました。
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厳島は、「神を斎(いつ)きまつる島」として「厳島」と呼ばれるようになったといいます。
古くから島そのものが神聖化されてきました。
島の最高峰である弥山(みせん)は標高530m。
弘法大師が開いたと伝承のある山岳信仰の霊地で、原生林におおわれ、弥山本堂三鬼堂(さんきどう)のほか御山(みやま)神社大日堂などが建っています。

厳島神社は、広島湾の入り口にうかぶ宮島(厳島)の海岸に建ち、平安時代の寝殿造りを神社に取り入れた建築美で知られ、古来、安芸の国一宮として尊崇されてきました。
創建は推古元年(593)、佐伯鞍職(さえきくらもと)によると伝わりますが、平安末期の久安2年(1146)、清盛が安芸の守に任ぜられ、平家一門の崇敬が始まって以来、現在のような壮麗な社殿が営まれるようになりました。
御祭神は宗像三女神(むなかたさんじょしん)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)。

天照大神と須佐之男命の誓約(うけひ)の際に誕生した神々。
宗像三女神は海上交通を司る海の神々として信仰されてきました。
また御祭神のうち市杵島姫命はいつしか弁財天と習合し、日本三弁天の一つと称されるようになりました。

さて、大鳥居です。
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宮島のシンボルで、両部鳥居と呼ばれる独特の姿。
写真は満潮から1時間ほど経った頃の姿です。

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現在の「伊都岐島神社」の扁額は有栖川宮熾仁(たるひと)親王の御染筆。
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海側の扁額は「厳嶋神社」。

参詣の人々で賑わっている様子が見えます。
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船を降り海岸を歩きます。
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空も海も澄んで美しい景色です。

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 二位殿灯籠 壇ノ浦の合戦で、安徳天皇とともに入水した
平清盛の妻、時子の供養のため建てられた灯籠。

いよいよ厳島神社へ。
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東廻廊(国宝)を進みます。
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蟇股(かえるまた)にも古様を感じつつ…

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まずは摂社の客(まろうど)神社。
「まろうど」とは…海を越えて寄りくる神。
講座で先生から教わったばかりです。
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正面は祓殿(はらいでん)。その後ろが拝殿、そして本殿となります。
檜皮葺(ひわだぶき)の屋根が美しいですね。
客社の造りは本社と同様の構成になっています。

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           反対側から見て。両流造りの客神社本殿。

客社は摂社のなかで最も大きく、厳島神社の祭典はすべてここから始まるならわしです。

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                客社の祓殿、拝殿、本殿とも国宝。

御祭神は五柱の男神。やはり天照大神13_R.JPGと須佐之男命の誓約の際、さきの宗像三女神のあとに誕生した神々。
天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)は天孫ニニギノミコトの父神にあたります。

ちなみに厳島神社の神紋は三つ盛亀甲に剣花菱。出雲大社と同じです…
客神社の背後にみえるのは五重塔

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そして秀吉が建てた大経堂・豊国神社(千畳閣)です。
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秀吉が没したため、完成をみないまま現在に至っています。

五重塔と千畳閣は厳島神社の東の丘に建ち、客神社の借景になっています。

─さて社殿にもどり、

宮島八景のひとつ、鏡の池
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左手の円形のところ。たえず清水が湧き出ています。
回廊の釣灯籠は毛利輝元が寄進したのが始まりだそうです。

朝座屋(あさざや) 神職が参集するところで、朝の祭典の前に使われることが多かったためこの名があります。
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寝殿造りの対屋(たいのや)の特徴を持ちます。
こちら側(東側)は切妻屋根、反対側の屋根は入母屋造りです。
向こうに見えるのは本社本殿の屋根。


桝形(ますがた) 
廻廊と祓殿で囲まれたところ。
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旧暦617日に行われる管絃際には管絃船が楽を奏し、この桝形に入ってくるのだそうです。

卒塔婆石(そとばいし)と康頼(やすより)灯籠

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鹿ヶ谷の謀議により僧俊寛、藤原成経らと喜界ヶ島に流された平康頼が、母をしのんで二首の和歌を千本の卒塔婆に書いて流し、そのなかの一本が流れ着いた石という伝承があります。
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灯籠は許されて都に帰ってきた康頼が御礼のために奉納した灯籠。

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いよいよ本社です。宗像三女神のほかに30柱が相祀されています。
前方の祓殿は、客社と同様、三方に庇をつけた特徴ある建物でその後ろが拝殿です。
拝殿の屋根は入母屋造り。下から見上げると棟が二つ見え、その上を一つの棟で覆っていて、三棟(みつむね)造りというのだそうです。
本殿の屋根は見えにくいのですが、切妻両流造り。檜皮葺に瓦を積んだ化粧棟で寝殿造りの様式を伝えています。 
水平に広がる屋根の姿が優雅です。
高欄で囲まれているのは高舞台(たかぶたい)
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         本社祓殿から高舞台、大鳥居を見たところ。
祓殿は折上げ小組格天井で、
勅使が参詣されるなど特別なときに使われます。

拝殿前の高舞台(国宝)では舞楽が舞われます。
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舞楽は清盛が四天王寺から伝えたといわれ、
陵王・振鉾・万歳楽・延喜楽・太平楽・抜頭など二十数曲が今なおこの厳島神社で舞われます。
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見えにくいのですが、平舞台(ひらぶたい)の突き出ているところ、突端が
火焼前(ひたさき)。 ともに国宝です。
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         手前が右楽房。その右にあるのが右門客神社

そして平舞台の前、両側に門客(かどまろうど)神社と楽房があります。

門客神社は門をつかさどる豊磐窓神(とよいわまどのかみ)、櫛磐窓神(くしいわどのかみ)をお祀りします。

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楽房は舞楽のさい雅楽を奏するところ。

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手前が右楽房。 向こう側が左楽房。これらもみな国宝です。

インド・唐から伝わったものを左舞(さまい)といい、左舞を舞うときは左楽房で奏し、   満州・朝鮮半島から伝わったものを右舞(うまい)といい、右楽房で奏するのだそうです。
いつかここで舞楽を見てみたいものです。

天神社(てんじんしゃ)

菅原道真を祀る。古くは連歌堂といい、明治時代の初めまで毎月連歌の会が催されていました。
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大国社(だいこくしゃ)
写真がないのですが、本殿の西側にあり、ご祭神の大国主命(おおくにぬしのみこと)が、本社御祭神のうちの田心姫命と結婚していますので、本社に近い場所にお祀りされているということかもしれません。

能舞台
永禄年間に毛利氏によって寄進されました。
日本で唯一、海に浮かぶ能舞台。
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切妻造り。立派な大瓶束(たいへいづか)。


反橋(そりばし) 
別名勅使橋といい、昔、勅使が参拝されるときに渡られたそうです。
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ひとまわり見学し終えました。
向こう岸をぼんやり眺めていると、
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鹿が境内を悠々散歩しています。ここではふつうに見られる光景?


下は、西方の多宝塔の辺りから眺めた神社です。
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まるで模型のように見えますが本物です(笑)。よく見ると手前の
西廻廊側が出口になっています。
ここから出てきたのです。
こちら側はごらんのとおり唐破風屋根です。入口は切妻屋根でした。


海上に浮かぶ鮮やかな朱色、水平に広がる社殿の美しさ、屋根も左右で異なる繊細な造り、取り合いの変化と調和。細やかな美意識が感じられます。
まさに清盛が実現した龍宮城であると先生からお聞きしたとおりです。

清盛が厳島神社を信仰した背景には、清盛が瀬戸内海を中心に勢力をのばしていったことがあげられます。

瀬戸内海は九州と近畿を結ぶ重要な交通路であり、清盛は博多から瀬戸内海をとおって大輪田泊(おおわだのとまり)までを結ぶ日宋貿易のルートをひらきました。
海を基盤として勢力をのばした清盛は、瀬戸内海の守り神としてうやまわれていた厳島神社を平氏一族の守護神としたのです。
清盛は福原に住むようになってより、たびたび千僧供養を行っています。
法華経の読経によって、海神、すなわち龍神が怒り風波が起こらぬよう、海路の安全を守る願いが込められていたのでしょう。

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六波羅蜜寺の清盛像 出家して後の法名は静海。
その信仰の深さは清盛が奉納した「平家納経」(国宝)からも知られます。長寛2年(1164)、清盛と平氏一族が神への感謝と来世の幸福を祈って厳島神社に納めた33巻のお経。
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その奉納内容と過程にはいくつかの疑問が残りますが、金銀をちりばめた料紙に書かれ、美しい絵と相俟って平安時代の美術作品のなかでも最高傑作のひとつとされています。

─大河ドラマではなかなか理解できない清盛像やその信仰について、ぜひとも堤先生の講座で、より深いお話をお聞きしたいと思います─
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     宝物殿
 当の「平家納経」はただいま出張中でした。

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    宝蔵
 宝物館や収蔵庫ができるまでは「平家納経」も
この宝蔵に納められていました。

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  三翁神社(さんのうじんじゃ)
  厳島神社の創建にかかわる佐伯鞍職が祀られています。


厳島神社のすぐ近くに大願寺(だいがんじ)35_R.JPGがあります。

大願寺は真言宗高野山派で、厳島神社の修理造営を司ってきた寺院。
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ここに祀られている弁財天は、江の島、竹生島とならび日本三弁財天の一つです。

一方、明治の神仏分離まで厳島神社の別当職であったのが、
弥山の麓にある真言宗御室派に属する大聖院(だいしょういん)。
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本尊は波切(なみきり)不動明王をお祀りしています。
本堂、魔尼殿(まにでん)をはじめ、随所にみられる彫り物や複雑な建築様式が見られます。
石段を上り、かなりくたびれていたのですが、いちめんに彫刻された玉眼の龍や獅子にゾクッとして目が覚めました。

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  魔尼殿 弥山三鬼神を祀る。圧倒されるような建築です!
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魔尼殿二階から
大聖院から弥山への登山道が見えます。
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さて、大聖院をあとに─

多宝塔
を経て、
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大元(おおもと)公園
へ。

大元神社 本殿は三間社流造り。
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     こけら葺が六枚重三段葺きの日本で唯一の建造物。

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夕暮れ時の静かな公園を散策し、
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清盛神社にお参りし…

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清盛神社 昭和29年に清盛のの遺徳をたたえ建てられた神社


大鳥居を見ると…干潮になっています。
あの大鳥居まで歩いていけるんですね!
たくさんの人がどんどん集まってきます。

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鳥居まで来て社殿が正面に見えると不思議な感じがします。
社殿までも歩いて行けます。
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満潮時とは水深2メートル弱くらいの差でしょうか。
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この大鳥居は島木のなかに石が入れられて重石となっているそうで、自重で立っています。
大鳥居に始まり、大鳥居で終わった一日。

明日はいよいよ弥山に登ります!

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翌日も天候に恵まれました。宮島へわたります。
いよいよ弥山(みせん)へ─
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バスと
ロープウェイで途中の獅子岩駅まで行くことができます。
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いい眺めです。怖いくらい……
獅子岩駅からは歩いて、まず弥山本堂を目指します。
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ところどころで休憩しながら、木の間から見える眺めに励まされつつ…
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本堂に近づくにつれて、巨岩がみられるようになってきます。
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太古の昔、ここが海の底であった証拠だそうです。
弥山本堂に到着です。
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弘法大師が弥山山上で護摩を焚き、百日間の求聞持(ぐ8_R.JPGもんじ)の修法を行ったところと伝わります。本尊は虚空蔵菩薩が祀られています。
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            清盛の三男、宗盛が寄進したという梵鐘。
本堂と向かい合う霊火堂(れいかどう)
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弘法大師が修法された当時から燃え続けているという聖火。その上に大茶釜が懸けられ、釜の湯を飲むと万病にきくといわれています。

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ここは日本で唯一、鬼神を祀るという三鬼堂(さんきどう)。
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主神は追帳鬼神(ついちょうきじん)で知恵の徳を司り、他は福徳の徳を司る時媚鬼神(じびきじん)、降伏(ごうぶく)の徳を司る摩羅鬼神(まらきじん)。
三鬼大権現(さんきだいごんげん)は大聖院の魔尼殿(まにでん)にも祀られています。大小の天狗を眷属に従え、強大な神通力で衆生を救うとされるのだそうです。
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      奉納された天狗の額がたくさん掲げられています。

追帳鬼神の本地仏は虚空蔵菩薩ですが、弥山本堂の本尊は虚空蔵菩薩でした。
初代総理大臣の伊藤博文も篤く信仰したといわれ、扁額は伊藤博文の字です。
やはり山岳信仰の色濃いところですね。
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さて、また出発。 巨岩、奇岩を通り抜け、
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くぐり岩
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やっと頂上にたどり着きました!

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目の前に瀬戸内の景観が広がっています。
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まるで雲の上から見おろしているような美しさ─。

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静かでおおらかで、遠い昔、神々が降り立ったであろうと思える風景。
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厳島に詣で、弥山に登り、海と山に囲まれたこの自然の中にさまざまの信仰の姿を見たような気がいたします。