堤先生の墓参と西賀茂散策ご案内

爽やかな季節となりました。
清遊の会の皆さまにおかれましては、いかがお過ごしでしょうか。
春に引き続き、秋も堤先生の墓参と西賀茂散策を実施したく、ご案内いたします。
実施日を二回設けましたので、ご都合の日をお選びください。墓所は、北区西賀茂にあり、五山の送り火の「船形」の近くになります。
くれぐれもご無理をされませんよう、よろしくお願いいたします。

ルート
「西賀茂車庫前」→ 川上大神宮→ 霊源寺にお墓参り→ 正伝寺(拝観)→ 西方寺→ 大将軍神社→ 神光院にて解散(全行程 約2㎞)

日程

11月13日(土) 雨天は翌14日(日)
11月17日(水) 雨天は翌18日(木)
天候が不明な時は、当日朝、HPでお知らせします。

時間
 午後1時30分集合~4時前後解散

集合 西賀茂車庫前バス停
※西賀茂車庫の中のバス停ではなく、車庫より西にあるバス停です。ポストが目印です。(北大路バスターミナル・青のりばより、市バス①㊲系統で20~25分)

解散 神光院前

ご参加費 2千円(正伝寺拝観料・供花代・保険料込)
 ※お振込にてお願いします。恐れ入りますが手数料はご負担ください。ご入金確認は実施日以降に確認させていただきます。当日までにご入金確認のご返事ができません事、ご了承ください。

振込先
・京都銀行 紫野支店(162) 普通 3236638
京都清遊の会代表 西山祐子
・ゆうちょ銀行(振替) 00930-7-233813 京都・清遊の会

お申込み 10月25日(月)まで。
※但し、ご参加人数の都合上、25日を待たず締め切らせていただくことがございます。

ご希望の日にち、13日、17日のいずれか、雨天時のご予定を必ずお知らせください。

中川まで。下記メール、ショートメール、ライン、お電話も可です。
お申込みを受付けましてからのお振込みをお願いいたします。お振込のみではご参加いただけません。

※注 メールアドレスが下記に変更になりました。

メール nagomi-yu105@ares.eonet.ne.jp

※今回の秋に初めてご参加の方を優先とさせていただきたく、春に続いてご参加希望の方は10月20日以降にご連絡ください。お申込み状況をお知らせいたします。

京都・清遊の会 事務局 https://kyo-seiyu.info/

玄武神社 紫式部・小野篁 大森

9月に入りました。
日中の残暑は厳しいながらも、朝夕はしのぎやすくなりましたね。
いつのまにか陽ざしもやわらぎ、草木に花実がなり、どことなく秋の訪れが感じられるようになりました。

1日朝、北区にある玄武(げんんぶ)神社では宮司さんの姿がありました。地元の人たちが月参りに来られています。



芙蓉もよく咲いていました(^-^)

玄武神社は、ご存じのように、平安時代初期の文徳天皇第一皇子であった惟喬(これたか)親王(844~897)をお祀りし、別名惟喬社(これたかのやしろ)とも呼ばれています。
社名の玄武とは、青竜、白虎、朱雀とともに王城を守る四神のひとつで、平安京の北にあることから北面の守護神として名付けられたものです。
(玄武神社HP)

10年前の2011年9月に、玄武神社から始まるブログ「紫野で」を書かせていただきました。
そしてブログの最後に、この近くに紫式部や小野篁(おののたかむら 802~853)のお墓もあるのです…と書いておりました。当時は考えが及ばず、そのままになっていました。

紫式部と小野篁の墓所は玄武神社から約300メートル、まさに目と鼻の先にあります。


ムラサキシキブが実をつけていました (^-^)

右が小野篁卿、左が紫式部のお墓。

さて今年の5月に、惟喬親王終焉の地と伝わる「大森」の地を訪ねる機会が何度かありました。大森は同じく北区ですが、ここから約20キロ離れた小野郷(おのごう)にあり、北区の最北端、清滝川の源流となるところです。

北区のエリア別図

二つの図を照合していただくと、
小野郷は、旧大森村と旧小野村をあわせた地域で、
現在の中川(旧真弓村、旧杉坂村、旧中川村)とともに5つの旧村の地域を「北山杉の里」と呼んでいます。この北山杉の里を清滝川が流れ、やがて保津川に合流します。

下は惟喬親王を祀る安楽寺や供養塔のある大森東町のエリア。お見づらく恐縮ですが、すぐ東は雲ヶ畑の志明院、さらに東へいくと貴船、鞍馬。貴船神社の名が見えています。
大森へは、町中からは国道162号線沿いに進み、岩戸落葉神社で北上します。

小野郷の辺り一帯は名の通り、名族小野氏の活躍したところで、小野篁もこの地の出身、そして篁の子、長友(ながとも)は惟喬親王に仕えた従者のひとりという伝承があります。
長友が実在の人物で、惟喬親王に仕えたかどうか、確証はありませんが、大原においても、雲ヶ畑においても、この大森でも、小野氏の一族が惟喬親王に仕えていたことは確かなようです。

以前に堤先生にいただいたレジュメに、紫野の辺りに小野氏の語り部集団がいたという伝承があるとありました。先生は惟喬親王をお祀りする玄武神社の周辺に篁の墓所があることは小野氏を通して関連があると考えられていたと思われます。

紫野におられた頃の惟喬親王のまわりには、雲林院(うりいん)という寺院を中心に六歌仙と呼ばれる人々が仕えていたといいます。そのなかには小野小町も数えられています。

大森を訪ね、小野氏が勢力を張った小野の地について学び、ようやくたどり着いた歴史の関わりに、堤先生はとうに考察されていたのだと気づきました。

第一皇子でありながら、藤原氏の権勢のため天皇になれず、都の北方の地を点々とされた惟喬親王。
昼は朝廷に仕え、夜は冥府で閻魔(えんま)様に仕えたという小野篁。
ひと世代ほどの時代の隔たりはあるけれど、平安の有名人ベスト10に入りそうな?この二人が、大森・小野の地で、そしてこの紫野で、ともに名を残しています。
大森は、親王の伝説や足跡が残っていて、特別な何かを感じる土地でした。
親王が、都への想いをはせたというあの桟敷ヶ岳を望む地。

再び大森を訪ねたくなりました。
              惟喬親王を祀る安楽寺

              大森 桟敷ヶ岳を望む