桜だより 立本寺など

春らんまん、京都の桜もいよいよ満開の頃を迎えましたね。
出かけたくなる、心浮き立つ季節。

上京の寺院からいくつかご紹介いたします。
まず、初詣現地案内のおりに通った七本松通の立本寺(りゅうほんじ)


境内を桜の木に囲まれて散策。この日は曇り空だったせいか、桜が雪のようにも感じられます。

駒札も桜のお飾り (^-^)

桜のトンネル🙌

千本通りにある上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)は真言宗の寺院。通りを挟んで12の塔頭があったことから通称「十二坊」。
境内には、弘法大師像や大師堂、大師の母・阿刀(あと)氏の塔や仏師定朝の墓、源頼光の土蜘蛛退治にまつわる頼光塚があります。


境内から千本通に向かうと町屋が見えて西陣の地らしい風景です。


参道は静かな散策道。

寺之内通にある妙顕寺(みょうけんじ)
京都における日蓮宗最初の寺院。元亨元年(1321)の創建。

下は「四海唱導の庭」

枝垂桜が美しいですが、秋も紅葉が素晴らしいお庭。

大本堂への渡り廊下から見えるお庭や屋根瓦が本当にきれいです!

そしてその渡り廊下を下から眺めるのもぐ~です (^^ゞ

妙顕寺の西にある本法寺(ほんぽうじ)。境内西は堀川通に面しています。
こちらも日蓮宗のお寺。山門(仁王門)のお向かいは表千家、裏千家がならび、お茶人さんの行き交う姿も見られます。
本阿弥光悦や長谷川等伯ゆかりの寺でもあります。
多宝塔が青空に映えて桜を圧倒するほどでした。


「叡昌の松」の横にもかわいい桜。

枝垂桜の満開にはもう少しかかるところもあります。
あそこの桜はいつ咲くかしらと、楽しみに花を待ちたいと思います (^-^)

お会式桜と妙蓮寺椿

いよいよ各地で桜が咲き始め、見頃の季節を迎えましたね。
上京区の妙蓮寺では「お会式桜(おえしきざくら)」がそろそろ見頃を迎えています。


山門を潜って、左手に。



この桜は、案内書きのとおり秋から咲き始め、冬を越えて春に満開となります。真冬に初めて、桜が咲いているのを教えてもらい驚いたものです。


お会式とは宗祖の命日におこなう法会のこと。

青空に濃淡の花びら、濃いピンクの蕾が映えます。やはりこの時季に咲いているのが美しいですね。低いので間近で見られます。可憐な花びらが朝の風にゆれていました。

妙蓮寺は本門法華宗の大本山。開基は日蓮聖人の孫弟子にあたる日像聖人。
永仁2年(1294)、五条西洞院の造り酒屋、柳屋仲興(なかおき)が日像聖人に帰依し、未亡人が邸内に一宇を建立し、「卯木山(うぼくさん)妙法蓮華寺」と称したのがはじまり。柳寺とも呼ばれました。山号は柳の字を分けて卯木山。

石畳の突き当り、寺務所の前には「妙蓮寺椿」

花は少ないながらまだ咲いているものも。下はイチハツでしょうか。
 

室町時代の連歌師・宗祇(そうぎ)が、椿の豪華な美しさと27ヶ坊を有した往時の寺の繁栄を「余の花は みな末寺なり 妙蓮寺」と詠んで賞賛したという椿。

初代の椿は昭和の火災に遭い、いまはこの二代目の妙蓮寺椿が大切に育てられています。こんな椿も咲いていました。

鶯の美声もきこえました。が、姿を見たと思ったら、どこかへ行ってしまいました💦 怖がらせてしまったようです。
境内には御会式桜のほかに、染井吉野、枝垂桜、八重桜などが植えられていて、つぎつぎ咲いていくのが楽しみです。


寺は、1536年(天文5)天文法華の乱、江戸時代には1730年(享保15)西陣焼け、1788年(天明8)天明の大火などによって焼失し、寺地も点々としました。1789年(寛政元)から漸次再建されてきたそうです。

ここには赤穂義士の遺髪墓や、明治の京都画壇を率いた竹内栖鳳や上村松園の師である幸野楳嶺(ばいれい)のお墓もあります。ご存じ、楳嶺さんの旧宅跡はまさに大船鉾が建つところにあり、大船鉾ゆかりの画人といえます。

ふだんは静かな境内を散歩するだけのお寺の、歴史をあらためてひもといてみると幾重にも歴史が積み重ねられているのを感じます。

春の拝観も始まっていますので、お花見がてらに、十六羅漢の石庭や長谷川等伯の障壁画などをご覧に訪れてみられるのもおすすめです。拝観日はご確認ください。
枝垂桜が咲きましたら、追加アップしておきます (^^ゞ (3月28日撮影)    

 

 

彦根・玄宮園の雪景色

陽ざしは明るく感じられるようになりましたが、相変わらず厳しい寒さですね。
2月6日は強い冬型の天候で、滋賀県北部でもふたたびの大雪となりました。
琵琶湖の湖東、彦根城にあります庭園、玄宮園の雪景色をごらんください。

お堀端も静まりかえっていました。

玄宮園は城下の下屋敷である槻御殿(楽々園)の後園として江戸時代前期に作庭された大規模な池泉回遊式庭園。



四季折々の景観を楽しむことができますが、この日はモノクロームの世界。

唯一の色が! 桜が凍りそうになって咲いてました…

池には中島が築かれ、さまざまな橋が架けられているそうですが、雪を被って、どんな橋なのかわかりません💦

ただ静寂に包まれています。

向こうに見えるのが「鳳翔台(ほうしょうだい)」。

ここにお茶席がありました !(^^)!


三方からお庭が眺められます。



暖房のきいた茶室でお抹茶をいただき、ほっこり。お菓子は、井伊直弼(なおすけ)が青年時代に暮らした「埋木舎(うもれぎのや)」にちなんでの「埋れ木」。
この鳳翔台から眺める天守もみどころのひとつです。

中央上方にうっすらと見えました。


鳳凰が大空に向かって舞い上がる場所、という意味で名づけられたという「鳳翔台」は、江戸時代の絵図に玄宮園十勝のひとつとして描かれ、舟遊びに興じることもあったそうです。(下図では左手下方に描かれます)

ときに強く吹雪いたり、また止んだり。ずっと眺めていたい景色です。



水面に薄く氷が張ったところなのか、水玉模様になっていたりします。

これでも毎冬の積雪は、彦根は米原や長浜よりはずいぶんましなのですよ、と接待の方がおっしゃっていました。
帰りは埋木舎を通りました。(写真右手・冬期は休館)


この日、京都はもちろん、大津や草津、近江八幡市も雪は降っていなかったのですが、安土を過ぎて彦根市に入る辺りからの雪でした。
帰りも同様、彦根市を過ぎると積雪がうそのような風景と夕焼け空でした。
積雪で難渋されているところもある中ですが、別世界のように清らかな湖国の雪見をさせていただきました。

 

戒光寺の星祭り 千本釈迦堂の節分会

ことしは厳しい寒さがつづいていますが、皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

節分には例年各地で多彩な行事が行われますが、京都の節分も賑やかです。ただし、ことしも昨年に引き続き控えめに営まれるところが多かったようです。

節分の日、東山区泉涌寺の塔頭、戒光寺(かいこうじ)では「星祭り法要」が営まれました。

戒光寺──
泉涌寺は皇室の菩提寺として知られますが、ここ戒光寺は鎌倉時代中期の開創になり、本尊は「丈六釈迦如来像」。立像のたけが一丈六尺(5メートル余)あり、「丈六さん」と呼ばれ親しまれています。蓮花の台座から光背の先までなら約10メートルあり、木造のお釈迦様の立像としては世界最大だそうです。

(戒光寺HPより)

仏様の喉元を見ると何かが流れているように見えます。
これは、江戸初期、後水尾天皇が即位争いに巻き込まれ命を狙われたときにこのお釈迦様が身代わりになられてついた血の跡だと言われ、このことから悪いことの身代わりになってくださる「身代わり丈六釈迦如来」と呼ばれるようになり、首から上の病気は特によく治してくださるとの信仰があります。


昔のことになりますが、昭和の初め頃まで中川の曽祖父と祖父がこちらの住職であった時代があり、二人の墓があります。なにより祖母や母の生家でした。現在はすっかり代が替わられましたが、そのご縁もありお墓に参ったりしています。


節分星祭り「大般若転読法要」──
星祭りは、年の節目である節分に、悪い星は無難に、良い星はより良く過ごせるようにお願いする開運厄除の祈祷会。
節分には、神社では「追儺(ついな)」が、寺院では「星祭り」が営まれます。

星祭りは密教系の寺院で行われることが多いようで、掲げられるのは「星曼荼羅」など。
九曜星の九つの星や、北斗七星の七つの星の内の一つを、その人の生まれ星として本命星(ほんみょうじょう)と定め、運命を司る星と考えます。
また、一年ごとに巡ってくる運命を左右する星は「当年星」(とうねんじょう)。これらの星を供養し、個人の一年間の幸福を祈り、災いを除くというものです。



(中と下の写真はHPより)

法要のあと、御祈願のお札が授与されました。みなさん家族の分やグループなどで申し込まれています。名前を呼ばれてご住職からお手渡し。押しいただくように手元に。有難く、安堵の心持ちです !(^^)!

さて、戒光寺は、昨年8月の豪雨で本堂の屋根が崩落するというアクシデントに見舞われました。けが人や他の建物への被害はなかったものの、壁に沿って折れ曲がり落ちてしまった屋根の部分の下には、開祖・曇照忍律(どんしょうにんりつ)上人像やほかの仏様も安置されていて、別の場所へ移動させ、修復することが急務となりました。

改修工事は部分的な工事ではなく、傷んでいる屋根全体を修繕しなくてはいけないことがわかり、開創800年事業に向けての矢先、この崩落が起こったそうですが、莫大な総事業費を檀信徒さんに頼るだけでは間に合わず、CFで資金を募るプロジェクトを立ち上げられました。
私方はわずかなご協力でしたが、清遊の会でも一部呼びかけさせていただき、ご協力いただいた方もございました。

囲んだのが崩落した部分)
(崩落直後)

屋根の修復工事は現在も進行中なのですが、法要の後、現場を見せていただきました。本堂は裳階(もこし 屋根の下に下屋根がつき二重の構造)になっていますので、崩落した裳階の階と、上の階と、上下ふたつの足場に上げていただきました。
下は崩落した屋根を切り取ったところ。

ここをぐるりと回りさらに上の屋根へ。

ここで思わぬ眼福を得ることになりました。ユニークな屋根瓦の数々。


鬼の顔は少しずつちがいます(笑)
さらに…

龍も!

雷神もいます。

見る方向によって印象がちがいます。

ここで見ることができた瓦はみな「貞享元年甲子九月日」とありました。1684年。300年以上ですね! 反対側には奉納した人の名前も彫られています。


天狗 (*’▽’)? 
節分にこんな鬼さんに出会えるとは  !(^^)!
さらに珍しいのは、阿吽の贔屓(ひいき)。
これは裳階の屋根にあり、上手く撮れず、HPからです。


今日はちょうど見学できる状況ということでご案内があり、珍しいものを見せていただきました。
見ている時は夢中でしたが、さて終わって、二階から降りるときの怖さといったら! 高💦

おかげさまで工事は今秋にも終了し、来年の「花まつり」頃には落慶の予定ですので、皆さんでぜひお越しくださいとのことでした。清遊の会でぜひ拝観にうかがいたいと思います!

さて、15時からは千本釈迦堂でおかめ福節分会に。今日は二本立て(笑)。

おかめ福節分会──
年男年女の方々が参列、厄除祈願の法要が営まれます。
おかめ像前での法要、上七軒の舞妓さんによる舞や番匠保存会による木遣音頭が奉納され、



茂山千五郎家による狂言「古式鬼追いの儀」。
出た出た!




マスクしてます…

豆撒きも鬼との勝負がなかなかつかないところで、おかめが登場、鬼は退散。

めでたしめでたし。さいごは招福豆まきが行なわれました。

はじめに、いまだコロナ禍であり、考えに考えて今日の節分会を迎えました、とお寺のご挨拶がありました。
終わるころにはたくさんの人が見学されていました。
やっぱり京都の節分はこうでなくては !(^^)!
来年はさらに賑やかな節分となりますように。

 

 

 

 

黒谷 栄摂院 紅葉の庭 

師走に入り、冷え込みが増してきました。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

先日、美しい紅葉に出会いました。
黒谷の金戒光明寺から真如堂への散策の道すがら。北門へ向かう参道沿い、真っ白い壁の向こうのあざやかな紅葉に魅かれました。



「栄摂院」とあります。
吸い込まれるように中へ。整然と手入れがされたアプローチ。色とりどりの楓。


中門を潜って、びっくり!
目の前に広がる景色に思わず立ち尽くしてしまいました。



苔むした石段の散紅葉。
山のような斜面の上には仏様。このお庭がいっそう崇高なものに感じられる所以です。



法要中の貼り紙のとおり、本堂からは読経の声が聞こえています。鳥のさえずり。朝の清浄な空気。こんな空間に誰もいません。もう夢見心地…。

中門を打ち返して見たり、

恐れるように、静かに静かに、とそっと歩きます。

ご志納入れがありましたが、参拝者まかせです。なんということ!

「栄摂院」(えいしょういん)は「黒谷さん」として知られる浄土宗大本山「金戒光明寺」の塔頭寺院。
1589年(天正17)、徳川家康の家臣・木俣守勝(きまたもりかつ 1555~1610)創建。木俣守勝は、三河の時代から家康に仕えたといい、晩年には彦根藩井伊家の家老を務めた武将で、楠木正成の嫡孫・楠木正勝の子孫であるとも伝わります。その守勝が、同郷の三河の松誉琴察を請じて創建したのが栄摂院で、本尊は阿弥陀如来。

奥に池があり、縁側から回り込んでみると、今度は紅葉と竹林が姿を現します。


先ほどの景色とはまたちがう趣。木々に風が渡り、サワサワ揺れるのも風雅です。
そして正面のお庭。


手前には池がありますが、書院前庭は白砂や刈込を巧みに配した枯山水庭園となっていて、九十九折れの石畳は奥へ奥へと誘われるよう。向こうに手入れをされている姿もありました。

紅葉と竹林の前に井戸がありました。

この井戸から引いた水は「黒谷明星水」と呼ばれ、黒谷八景のひとつに数えられたそうです。清水が湧き出し、空から明星が雨降って、菩薩様が現れたと。なんと美しい言い伝えでしょうか。


今日は、これから行く真如堂のお話をしたいと思っていたのですが、この不思議な美の世界に揺さぶられたのか、胸がいっぱいになってしまいました。

お庭は普段は非公開だそうですが、紅葉の時期のみ公開されるようです。
初めて知った栄摂院ですが、ここは、知る人ぞ知る紅葉の名所だったのかもしれません  !(^^)!