秋の散策  萩の花と念仏と

9月24日、10月1日は、夏を思わせる気候となりましたが、ともに好天に恵まれ、散策は無事終了しました。
両日と下見の折の写真などとりまぜ、ご報告いたします !(^^)!

散策は、出町柳駅近くの光福寺、通称「干菜寺」(ほしなでら)からスタートしました。

「南無阿弥陀仏」とお念仏を唱えながら鉦と太鼓を打つ「念仏六斎」の総本寺。

豊臣秀吉が鷹狩の際に立ち寄り、乾菜を献上したことで「干菜山光福寺」の名を与えられたそうです。


境内には浄土宗の開祖・法然上人の若き勢至丸の頃の像。今日は法然上人ゆかりの寺院を訪ねます。

百万遍知恩寺へ。

「賀茂のかわら屋」「今出川釈迦堂」などと称され、法然上人が念仏の道場とし、のちに高弟の勢観房源智(せいかんぼうげんち)が寺としました。
上人と源智の師弟の深さを知るお寺でもあります。
本堂には法然上人像、脇に源智像、そして法然上人の意を受けて快慶がつくったとされる阿弥陀如来像が祀られています。

境内には、宋から送られたという平重盛ゆかりの「阿弥陀経石」の写しが置かれています。重盛のひ孫は源智と伝わっています。




法然上人が、比叡山黒谷別所青龍寺で修行ののち人々を救うため浄土宗開宗にいたったお話、「聖」(
ひじり)や「別所」に関わるお話。いつか講座でもお話できればと思います。

今出川通を東へ。
堤先生のお気に入りだった「パティスリー タツヒトサトイ」をご紹介。
北白川の志賀越道(しがごえみち)に建つ二体の石仏も見学しました。

そしてこちらの大きな石仏は、白川女が町へ花を売りに出るときに必ずお参りしたそうです。

神楽岡通に入り、南へ。

ご存じ「茂庵」へ至る石段。


「茂庵」は茶人の谷川茂次郎がつくった茶庵の一つで、大正末期に建てられましたが、おなじく茂次郎が建てた住宅群が近くに並びます。



石段の山道から望む大文字山もいいですね。



一番上まで上った方から萩の写真をいただきました。

茂庵は、8月14日で、惜しまれつつ営業を終えましたが、来夏をめどにリニューアルオープンされるそうです。楽しみです。

神楽岡通に戻って。

右手は後一条天皇の菩提樹院陵。吉田、神楽岡界隈は天皇・皇族、貴族の陵墓の地でありました。

黎明教会の資料研修館で、琳派の美術品などを見てひと休み。
外はかなり暑いです!

「軒端の梅」で名高い「東北院」を通り、
「萩の寺」として知られる「迎称寺(こうしょうじ)」は時宗のお寺。

土塀のまわりに咲く紅白の萩。

ようやく「真如堂」に着きました!


山門には敷居がありません…。なぜでしょう? (^-^)


境内の緑は少し色づき始めています。初秋の色ですね。

真如堂は十夜(じゅうや)念仏発祥の寺。
法然上人、親鸞聖人も参籠し、不断念仏の道場として、念仏行者や庶民、特に女人からの信仰をあつめてきました。
11月5日~15日は「お十夜」の法要が盛大に営まれます。

「涼しさの 野山にみつる 念仏かな」 去来

手水はボタン操作で出ます。でもすぐ止まる。省エネです(笑)

三重塔は再建されてからでも二百年余り。風格ですね。


左手の大きな木は「花の木」。真如堂は三井家の菩提寺で、三井家より寄贈されたこの木は境内で一番に色づき始めるのだそうです。

「たてかわ桜」

春日局が父・斎藤利三(としみつ)の菩提を願って植えたという「たてかわ桜」。二代目ですが、お隣に三代目の若木も育っています。樹皮が縦目になっています。

光秀の家臣であった利三が六条河原で晒されているのを奪って、この真如堂に埋葬した、友人の絵師・海北友松の物語。また春日局の父を想う心情を、堤先生からお話しいただいたことがありました。
ここに皆さまをお連れするのが散策の目的だったかもしれません。
写真ではわかりにくいのですが、真如堂も萩がたくさん植えられています。



弁天池


本堂に参拝し、書院と庭へ。



夏には紫陽花でしたが、菊花が添えられていました。


こちらは「随縁(ずいえん)の庭」
三井家の家紋「四ツ目結文」をモチーフに作庭されています。

奥の「涅槃(ねはん)の庭」へつづく庭。

燈籠は「燈明寺灯籠」というのだそうで、枯山水庭に景を添えています。

「涅槃の庭」


お釈迦様が横たわり、入滅のときの情景。
参加の方から、周りの石たちがお釈迦様のほうに向いていますね、と教えていただき、よく見ると、なるほど!

大文字を借景にして閑かです。

ここで散策は終了となりました。長時間お疲れさまでした。

お越しいただきました皆さま、ありがとうございました。
今回ご参加いただけなかった皆さま、いつかの京都散策のご参考になれば幸いです。

 

 

 

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