京都 顔見世講座 ご案内

吉例 京都顔見世講座!

ことしの「吉例顔見世興行」は、六代目中村勘九郎襲名披露記念となります。

昼の部では、「寿曽我対面」(ことぶきそがのたいめん)で、勘九郎が初の曽我五郎を、また片岡仁左衛門がこれまた初役の工藤祐経に挑みます。
「梶原平三誉石切」(かじわらへいぞうほまれのいしきり)では市川團十郎が平三を、「廓文章」(くるわぶんしょう)では坂田藤十郎、中村扇雀の親子出演など、東西の人気役者が顔を揃えます。

夜の部では、「仮名手本忠臣蔵」で仁左衛門が勘平を勤め、勘九郎の「口上」、襲名披露狂言の「船弁慶」、
「関取千両幟」(せきとりせんりょうのぼり)と続きます。

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井上由理子講師によるビジュアルを使ったわかりやすい解説で、ぜひとも今年の見どころをご堪能ください!  ご参加をお待ちしております!
 
 
 12月2日(日) 午後2時~4時頃
 京都市北文化会館 第4会議室
    (地下鉄北大路駅・北大路ビブレ1階北側)
   
  参加費 2千円  
     ※撮影・録音はご遠慮くださいますようお願いいたします。    

 参加ご希望の方は、下記までファックスメールをお送りください。 
 右上のお申込みフォームからもお申込みいただけます。
     京都・清遊の会事務局  603-8341 京都市北区小松原北町135-30-108 
                          TELFAX 0754659096  
                          Email: info@kyo-seiyu.net 

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                           南座の竹馬

ご報告

1123日(金・祝) 東京堤塾 京都世界遺産講座「清水寺」 堤 勇二
            きゅりあん 午後130分~ (終了しました)


堤講師の清水寺のお話はこれまでに何回かありましたが、今回の話は、どこでも話されなかった初めての内容の連続!


驚くやら、感心するやら、あっけにとられるやら…!


一度聴いたからいいや、と思った方、本当に本当に残念でした(笑)。

この夜叉の使命を聴いて驚きましたね。
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清水寺なのになぜ東寺が?!
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来月の世界遺産講座は「西本願寺」です! 乞うご期待! 




清遊ブログ  清閑寺 小督のゆかりを訪ねて

今月の世界遺産講座は、清水寺。
先日の京都の講座では、「観音力」というスケールが大きく、とても興味深いお話を聴くことができました。
やはり人気ナンバーワンの名所だけあって、境内や清水近辺の賑わいは今も昔も変わらぬようです。
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ところで、境内の子安の塔から清閑寺(せいかんじ)につづく道があるのをごぞんじでしょうか。
「清閑寺」と矢印が示された標を見つけました。
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一瞬ある思い出がよぎり、どうしても清閑寺を訪ねてみたくなりました。
参詣の賑わいからはすっかり離れて、通る人もなく、静かな山路。
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15くらいも歩いたでしょうか。
(女性ひとりでは決して歩かないでくださいね。)

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「左 清閑寺、右 大津へ」。下は国道
1号線が走っています。
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高倉天皇陵、六条天皇陵参道の碑と清閑寺の標。

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さらに進むと、左手に高倉天皇陵とその上方の山手にあるのが六条天皇陵。

 


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後白河天皇の第一子が二条天皇。その子が六条天皇。皇統は第七十七代後白河天皇から二条─六条と続き、その後を継いだのが二条天皇の異母弟・高倉天皇でした。

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京都・清遊の会の事務局は衣笠の二条天皇陵のすぐそばにあり、いつも御陵を目にしていますから、この六条天皇と高倉天皇の御陵にもなにか縁を感じます。

先に見えているのが清閑寺の門。
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石段を上り、山門へ。向こうに見えるのは九条山。
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「歌の中山」は清閑寺の山号で、清閑寺から清水寺の間の山路をいいます。

「見るにだに まよふ心の はかなくて まことの道を いかでしるべき」
昔、清閑寺の僧が美しい人を見て愛しい心が起り、声を掛けると、女人はこの歌を詠んで姿を消したとか。


清閑寺山(歌の中山)は東山三十六峰のひとつに数えられ、花と紅葉の名所として知られたところ。

清閑寺の歴史は古く、延暦
11年(792)に紹継(じょうけい)法師の開基とされ、かつては清水寺と拮抗する大寺でありました。幾多の盛衰を経て、江戸時代に平等寺が兼帯し、現在に至ります。
真言宗智山派に属し、菅原道真自刻の梅樹十一面千手観音がご本尊として伝わります。

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門をくぐると、すぐ目に入るのが小督局(こごうのつぼね)の供養塔です。
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木陰の下、苔むした庭に。

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向かい側に九条山を望み、陽の射す周りの風景とは対照的に、境内は翳って静寂そのものです。

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小督の哀しい物語がこの清閑寺に伝わっています。

 


小督局は高倉天皇に寵愛された女性。
しかし天皇の中宮・徳子(建礼門院)の父は時の権力者、平清盛。清盛に疎まれた小督局は宮中から追放され、この清閑寺で尼にさせられました。
高倉天皇は深く心を痛められ、自分の亡きあとはこの清閑寺に葬ってほしいと遺言され、二十一歳の若さで亡くなったと。小督局もここで亡くなったといわれます。


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また「平家物語」では、次のような話が語られます。

小督は藤原通憲の子・桜町中納言藤原成範(しげのり)の娘で宮中第一の美人。しかも琴の名手。小督を見初めたのが冷泉大納言藤原隆房でした。
しかし隆房の恋人となっていた小督を高倉天皇が召し、小督は天皇の寵愛を受けるようになります。小督を天皇に奪われた隆房ですが、じつは隆房の正妻も清盛の娘でした。
清盛にしてみれば、小督は二人の娘婿を奪い、娘を悲しませた張本人。召し出して殺すことを決意します。
小督はそれを漏れ聞いて内裏を抜け出し行方知れずに。天皇は源仲国に命じ、小督を探させます。

八月十五夜、名月の嵯峨野を駈け、仲国が小督を探し当てるくだりは有名です。

「峰の嵐か松風か 尋ぬる人の琴の音か楽か。……曲はなんぞとうかがえば、夫(つま)を想うて恋ふる名の想夫恋(そうふれん)なるぞ、嬉しき。」

 


小督は再び高倉帝の元に戻り、寵愛は以前にもまして強く、皇女が誕生。しかしそれを聞いた清盛の怒りは激しく、小督を捕えて出家させます。
小督二十三歳。嵯峨の辺りに住まいし、まもなく亡くなったといわれます。

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             小督の桜
じつは以前、小督局ゆかりの品を見たことがありました。

忘れもしない、平等寺(びょうどうじ)でのこと。


清閑寺の標を見て、とっさに清閑寺を訪ねたくなったのはそのときの光景が蘇ったからです。

何年前になるでしょうか、平等寺の縁日でした。平等寺は因幡薬師(いなばやくし)とも称し、松原通烏丸を東に入った、まさに京都の町の真ん中にあるお寺。
薬師如来の縁日が八日で、毎月八日にはこの因幡薬師で手作り市が開かれています。

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その日は香煙が立ち込めるなか、参拝の人や、手作り市の買い物客らで、境内は足の踏み場もないような賑わいを見せていました。

寺の他の行事とも重なり、その日はお寺の方もそれは忙しそうにされていました。

 


縁日には寺宝が公開されると聞いていましたので、尋ねてみました。すると門を入ってすぐのお蔵というか収蔵庫に案内されたのです。ここでした。なつかしい…。
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案内してくれたのは、なんと境内で焼きそばを焼いていたおじさん…。
その前掛けからはおいしそうな匂いがぷんぷんしていましたし、おじさんはまだ焼きかけの焼きそばが気になるようでしたが、お寺の方に頼まれて恥ずかしそうに中へ案内してくれました。
いいのかなあ、とおそるおそる後ろについて入りますと、なんだかすごい仏像やら美術品が並べられています。
そしておじさんは壁際にあるカセットデッキのスイッチをそっと押し、解説の音声を聴かせてくれました…。

 


そこで、初めて、この平等寺のご本尊で日本三如来のひとつ、「薬師如来」や、「如意輪観音」、清凉寺様式の「釈迦如来」を拝することができたのです。
その日は宝物館ではなく、たまたまこちらに展示されていたのでしょう。

今もあの焼きそばのおじさんなしに平等寺を思い出すことはできません(笑)
帰りに絵葉書を買うときもまたお寺の方ではなく、市で店を出していたおにいさんが応対してくれました。お寺と、商いする人との信頼関係には驚きましたが、昔は寺の行事には町の皆がお世話したものであったはず。
しかもここはもともと町堂といわれて人々が集ったところ。

取り澄ましたお寺の顔ではなく、いろんなものが綯い交ぜになったお寺の姿。京都という町が魅力的な町に思えたときでした。

 


さて、この出来事もそうですが、もっと驚いたのは寺宝の数々。

仏様のほかに見たものは─
小督局愛用と伝わる琴。そして蒔絵硯筥(すずりばこ)。
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さらに、小督が自らの髪の毛を織り込んで織られたと伝わる「光明真言」

それをみたときは息を呑みました。


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                (三点ともに平等寺 絵葉書より)

ガラス越しではなく、手が届くほど近くにあるのです。

髪の一本一本が確かに織り込まれているのがわかります。自分の髪を抜いて織るという想いの深さ。

 


高倉天皇との間には、のちに土御門天皇の准母となられた範子内親王も生まれていました。
おそらくそのわが子との別れもあったことでしょう。
凄絶ともいえる別離の感情がこの光明真言のなかに織り込まれている、そんな気がします。

 


この因幡堂平等寺は高倉天皇とのゆかりが深く、高倉天皇によって多くの堂舎が建てられ、因幡堂を平等寺と改めたのも高倉天皇だそうです。その縁から平等寺の住職が清閑寺の住職を兼ねるなど、清閑寺に伝えられたものがこの因幡堂に伝わる所以です。

平等寺を訪ねたこの日、いつか平等寺と縁の深い清閑寺を訪れることがあるだろうか、とふと思ったのでした。
話がずいぶん横道にそれてしまいました。

清閑寺の境内には要石(かなめいし)というのがあって、その前に立てば京都の町があたかも扇を開いたような角度で眺望できます。扇の要に当たることからこの名で呼ばれます。いい眺めです。
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昔は山科・大津方面からはこの寺に辿り着いて初めて京都が見えたようで、名所となっていたそうです。
そして、いつのころからかこの要石に誓いをたてると願いがかなうといわれるようになりました。

ここ清閑寺には、ほかにいくつもの歴史のできごとが刻まれています。

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幕末のころ、この上に、錦江湾に入水し果てた尊王攘夷派の僧侶で
清水寺成就院の住職・月照上人の隠棲の常居がありました。

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茶室「郭公亭」は西郷隆盛と都落ちの相談をしたところ。

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与謝野鉄幹の父で与謝野礼巌は妻を亡くした明治29年の冬、この寺に隠棲。
与謝野礼巌は「永観堂」の講座で、京都で初めて療病院を創ったうちの一人と教わりましたね。


鳥の声、風が渡り木の葉の擦れ合う音。自然の音が大きな響きにさえ感じられる境内です。

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山から眺める京都の景色もいいけれど…。


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帰り道。また御陵を通ります。

山手の御陵に葬られる六条天皇。
六条帝はわずか二歳で即位。在位三年で高倉天皇に皇位を譲り、元服を行うことなく十三歳で崩御。后もなく、子もなく。
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その下の高倉天皇の御陵のそばには小督局の墓塔があるといいます。意のままにならず短い生涯を終えた高倉天皇と小督局。静かに寄り添い眠っておられるのかもしれません。

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別離の哀しみを山ごと包みこみ、中腹にひっそりと建つ清閑寺。


またここへ来ることがあるのだろうか、とそんなことを思いながら、清水のほうへ歩き出しました。
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11月の講座  

113日(土)  魅惑の社寺 「永観堂」   講師 堤 勇二   (終了しました)
                                
歴史、宗教から芸術や文学にいたるまで、熱いお話を堪能しました! 
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11日(日) 京都世界遺産講座 「清水寺」 講師 堤 勇二 (終了しました)
             

清水寺。
誰でも知ってて、
もしかしたら、なんにも知らなかったかも!?
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清水寺奥の院 なぜ舞台が二つあるのでしょう?
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この迫力を見よ! 市内最大級なのだ!
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本堂は絵馬堂。身につまされる絵馬です(涙、涙)

あっという間の三時間でした。聞いたことない清水さんのお話…さすがです!

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11月18日(日)  「和菓子の会」  講師  井上由理子  (終了しました)
京菓子資料館にて   


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糖芸菓子「華燭」これがみんなお菓子なんです!

清々しい朝の和菓子の会。京菓子へのアプローチ、そして美味しいきんとんをいただきました!


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23日(金・祝)  東京堤塾 京都世界遺産講座  「清水寺」   講師 堤 勇二


                午後130分~  於 きゅりあん 第二講習室


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強烈な造型の成就院庭園
たっぷりとお話します。
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千重子が見たいと言った景色です。
「古都」の話。
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見よ、この雄姿!
密教寺院の面目躍如!




 


にて

秋の清遊散歩 「一条通り界隈」ご報告

929日(土)、台風17号が近づいていましたが、何とかお天気がもってくれますように…

堀川通今出川下ルの「西陣織会館」にて集合。西陣の由来は皆さまご存じのとおりです。

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今日ご紹介するのは、ここが「村雲御所(むらくもごしょ)」と言われた「瑞龍寺」のあった地ということ。謀反の罪を着せられ高野山で自害した豊臣秀次の菩提を弔うため、母・智が建てた瑞龍寺がありました。
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石碑と、村雲三和町という町名に村雲御所のゆかりをしのぶことができます。
近くの菓子司「愛信堂」さんに、昭和36年までこの地にあった瑞龍寺の写真がありましたので見せていただきました。瑞龍寺は現在、近江八幡市に移っています。
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村雲御所のゆかりを大切にされている愛信堂さんは明治24年創業。
甘味と酸味の出会い、「ハスカップきんとん」は京都と北海道の
出会いもんでもあります。ぜひ一度ご賞味ください!

さて、元誓願寺通りを西へ。大宮通りへ出ますと「千両ヶ辻」と言われたところ。江戸時代、西陣織が盛んだったころ、一日千両のお金が商いされたとか! 現在も創業二百七十年という老舗があります…。
「夷風」さんを見学。築百四十年という町屋を改装、見学できるように解放されています。
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ご主人の南さんは友禅作家で、お仕事中の座敷で町屋の建築やお庭についてお話し下さいました。

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辺りに竹藪が多かったという笹屋町(ささやちょう)通りは細い道ながら、帯屋さんや、糸屋格子の町屋が残る静かな通り。
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浄福寺通りを南に折れて浄福寺へ。浄福寺のお向かいもお寺。日蓮宗の慧光寺です。

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浄福寺─
赤門で知られる浄福寺は浄土宗知恩院派の寺院。
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天明の大火のおり、鞍馬山から天狗が飛来し、このクロガネモチの木に登って羽団扇(はうちわ)で火を返し延焼を防いだと伝わります。
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護法堂の屋根瓦に「護」の文字、羽団扇の意匠も必見です!
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火除け転じて民衆の信仰となったものとは? 火から護る…博打に手を出し火傷をしないように。境内の絵馬を見て納得です。
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薬師堂には薬師如来像、日光・月光の両脇侍、二十八部衆、そして千体薬師像が安置されていました。篤い信仰の証しです。

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幕末、寺は薩摩藩の藩屋敷のひとつとなりました。「浄福寺党」と呼ばれた藩士のつけた刀傷も書院の柱に残っています。

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本堂は、江戸時代の「三間梁規制」に対して、外から見えると二棟の建物にしか見えませんが、内部はひと続きの広間につくられたもの。横からみると礼堂と本堂が合いの間でつながれているのがわかります。

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                  本堂 正面
浄福寺の三世(四世とも)泰童和尚はその徳ゆえに民衆に慕われた方であったそうで、門前には今も泰童町という町名が残っています。
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そして泰童さんが建立したという大超寺(だいちょうじ)がすぐ西側にありました。いまは岩倉に移転しましたが、大超寺はマキノ省三監督が「碁盤忠信」を撮ったところ。ロケーション映画発祥の地とも言われています。

浄福寺を後にし、一条通りを西へ。
七本松通りの交差点で無事、堤講師と合流できました! ここでバトンタッチです。フー、よかった…。

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七本松の由来、下ノ森遊郭と傾城町の話。宮本武蔵と吉岡一門の決闘。出雲の阿国歌舞伎の発祥。市電北野線の話などなど、堤講師の話は尽きないのです。
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「長五郎餅」の由来は天正年間。太閤秀吉に賞味されました。

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          早くも「ぬらりひょん」が…


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           本門佛立宗本山の宥清寺で。


お産の気(け)もなく安産できるという「気なし地蔵」の浄香庵、弘法大師生誕のゆかりを伝える「星見地蔵」の西雲寺は歯痛に効くお地蔵様…。
京都の通りは、歩けば歩くほどにたくさん由緒が詰まっています! 
そして大将軍八神社へ向かいます。 

妖怪たちも店先にでて歓迎してくれています…。
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マイスターはおいしい!パン屋さん。食パンじじいが守っています。

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こんな見張り番たちも。
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大将軍八神社に着きました。

大将軍八神社─
平安遷都の折、桓武天皇の勅願により方位守護の神として、この地、つまり内裏の北西角に勧請され、以来篤く信仰されてきました。場所は創建時のまま変わっていません。

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現在は素戔嗚命を主神として、その子五男三女の八神、聖武・桓武両天皇が祀られています。

方位方角について、また方徳殿の前では刀印など手の印相についての話を聴いてから中へ。

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方徳殿内部には八十体の大将軍神像が、星曼陀羅様に安置されています。大将軍を示す衣冠束帯姿の神像、武装した神像。いずれも平安から鎌倉時代のもの。張りつめた空気が漂います。
大将軍とは方位を司る星神。正面に安置される神像は妙見像と同じです。
一体一体の神像には魂が宿っています…。


二階の展示室には陰陽道に関わる古天文暦学関係の資料がたくさんありました。

現在上映中の映画「天地明察」でおなじみ、渋川春海の製作になる「天球儀」もありました!

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 映画もなかなか良かったですね!
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境内のりっぱな春日燈籠 
創建にあたり、春日大社の大将軍神を勧請したゆえでしょうか。



大将軍社を出て、さらにキリシタン墓碑で知られる成願寺、そして五色散り椿の地蔵院前で解散となりました。

今日のルートには、今はもう跡もなく偲ぶこともできなくなってしまった藤原行成の建立した「世尊寺」や貞純親王の邸宅のあった「桃園の地」なども含まれていました。
町名に残された歴史をたどりながら、幾代もの時を行きつ戻りつ、お話しながらの「清遊散歩」。歴史のヴェールは何枚も何枚も積み重なっていることを実感した一日でした。

また、皆さまと楽しい「清遊散歩」ができれば、と思います。どうもありがとうございました!

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                成願寺の酔芙蓉