春の泉涌寺散策ご報告

4月1日、4日ともに好天に恵まれました。
皆様からいただきました写真も交え、ご紹介いたします。

総門横の即成院(そくじょういん)前からスタートしました。


まぶしいほどの青空。鳳凰も映えて。
張り切ってる人もいました。

戒光寺へ
御陵衛士(ごりょうえじ)の墓所にお参りをしてから本堂へ。
丈六(じょうろく)の釈迦如来像を間近で拝観させていただきました。

  (戒光寺HP)

全長10メートルもあるお釈迦様。
なんともお優しい慈悲に満ちたお顔、衆生を救ってくださるという長い手指。鮮やかな彩色がのこる截金の模様もはっきりと見えました。
お寺のご案内で、このたびの屋根の修復で解明された建築秘話や、内陣の足裏を見せる珍しい不動明王像の姿。その意味は?などなど、興味深いお話をたくさん聞かせていただきました。


境内には泉山七福神のうち弁財天が祀られています。
大きな椿咲いてました!

新善光寺へ
門を潜ると枝垂桜が出迎えてくれます。

さらにお庭の奥へ。きょうは創建のお話ではなく、明治の頃のお話。
山階宮晃(やましなのみやあきら)親王の歯髪塚(はつしつか)


山階宮晃親王(1816~1898) 

山階宮晃親王は、伏見宮邦家(くにいえ)親王の第一王子として誕生、山科の勧修寺(かじゅうじ)門跡になっておられましたが、49歳にして還俗、明治天皇を支え、国事に外交に奔走されました。晩年京都にお住まいになられてからは京都の復興に尽力された方です。
エピソードの数々を聞くと、京都の人々のよりどころであったことがわかります。

書院の奥にも桜が。

どちらからみても素敵です。

こちらはようやく今年元気になってきた桜だそうです。

奥の桜は満開の数日間に開放されるそうで、見学させていただき、良いときに来ることができました。

眺めのいい悲田院の境内で一服して、先へ。


桂宮淑子(すみこ)内親王や旧宮家の御陵を経て、雲龍院のほうへ向かいます。


そして先ほどお話した山階宮晃親王の御陵に。大きな御陵に皆びっくりでした。

山内で一番奥の雲龍院です。右手に勅使門。


ご本尊は薬師如来三尊像。そして「走り大黒天」は有名ですね。
後光厳天皇の菩提所で、霊明殿には後光厳天皇はじめ北朝の天皇の御尊牌が奉安されています。前には菊の御紋をかたどった砂の上に徳川慶喜公寄進の石灯籠が置かれます。

書院の佇まいやお庭の風景が素晴らしいです。

 悟りの窓

もう咲き終わった紅梅の木の向こうに、海棠(かいどう)が花を咲かせているのですね。


それぞれの景色を楽しむ4つの窓。

見る角度によっていろいろな景色をつくりだしてくれます。

「大輪の間」からの眺め。

ときどき風が吹いて、はなびらが舞っています。
先生が来ておられたかもしれません。

帰りは経蔵をとおり大門へ。
楊貴妃観音堂前の桜は遅咲きですが、4日は咲き始めていました。ごらんになれなかった皆さま、いただきました写真でご覧ください。


                楊貴妃桜 撮影 蒲田晧兵様

お越しいただきました皆さま、お疲れさまでした。
また散策をしましょう!
ありがとうございました。

 

 

天神通散策 ご報告

1月15日、17日の初詣散策「天神通を歩く」は終了しました。
ご参加の皆さま、ありがとうございました。
写真でご報告とさせていただきます。


北野天満宮 白梅紅梅ともに咲き始めています。
鳥居の向こう、一之保神社からスタート。

今日は、菅原道真公をお祀りしてきた西京(にしのきょう)の地域を歩きます。

一の鳥居と大狛犬は迫力満点。


台座の梅の絵は竹内栖鳳の筆だそうです。

大将軍八神社へ向かいます。

平安遷都にあたり、都の方位守護の神様として勧請されました。

成願寺
三之保社「長宝寺」の歴史を伝える「長宝堂」


天神通に入り、選佛寺へ。

紀貫之の娘・紀内侍(きのないし)ゆかりの鶯宿梅の伝承があると教えていただきました。
諸説あるそうですが、なにより清々しいお庭のたたずまいが印象的でした。

奥溪家住宅(京都市指定建造物)

東福門院の御典医をつとめたお家の下屋敷。

いよいよ今日のテーマの安楽寺天満宮へ。



天神さまをお祀りしてきた西京神人(にしのきょうじにん)の人々、千年の歴史が見えてきます。

瑞饋神輿保存会 集会所

秋のずいきまつりの神輿がここでつくられます。

弘誓寺(ぐぜいじ) こちらに参らせていただいたことは貴重な経験でした。

法輪寺(だるま寺)へ



干支が替わると回転するのだと思っていたら、回りません、とのことでした。

お庭は「無尽庭」 十牛の庭とも呼ばれます。

だるまさんはあまりにも多すぎてびっくり、ここで終了となりました。
お越しくださった皆さま、たいへんお疲れ様でした <(_ _)>

なお、京都・清遊の会では、日程などのご都合で散策にご参加できなかった方、歩いてみたいという方、二名様から個人様向けのご案内をいたします。昨年より実施しました今回の散策までのなかで、ご希望のコースとご希望の日にち等をお問い合わせください。
あらためてHPにページを設けます。
皆さまのお越しをお待ちしております !

 

 

 

 

秋の散策 Ⅱ 寺之内界隈の寺院 ご報告

11月19日、22日の両日は、ともに天候に恵まれ、深まりゆく秋の散策となりました。
尼門跡寺院の大聖寺(だいしょうじ)からスタートしました。


「花の御所」の碑。室町三代将軍義満の邸宅があったところ。邸内にあった岡松殿が、いまは大聖寺という尼門跡寺院となっています。(非公開)
尼門跡は皇女や公家、将軍家の息女が入寺した寺院。御所の文化をいまも伝える寺院です。
向こうに見える屋根の同志社大学寒梅館と、こちらの大聖寺辺りがその「花の御所」跡。



校内に室町時代の石敷の遺構も残されています。

この界隈には尼門跡が多く、同じく室町時代に創建の光照院(持明院跡)にも立ち寄り、寺之内通に入りました。


妙顕寺の塔頭・泉妙院。
美術史上、たぐいまれな芸術家兄弟の光琳、乾山を輩出した尾形家の菩提寺。

妙顕寺に着きました。




妙顕寺(みょうけんじ)──

京都における日蓮宗最初の寺院。大本山。
日蓮宗の宗祖・日蓮上人(1222~1282)の孫弟子にあたる日像(にちぞう)上人が開いたお寺。1321年の開創で、700年を迎えたことになります。
日像が龍華樹院(りゅうげじゅいん)と号したため、寺は「龍華」の名でも呼ばれてきました。


本堂に掲げられる「十界曼荼羅」の額。
中央に「南無妙法蓮華経」のお題目が書かれ、ひげのように見えるところから「ひげ題目」とも呼ばれます。周囲には諸尊の名が書かれます。

「三菩薩堂」
1358年、大旱魃の年、妙顕寺二世の大覚が、雨乞いの祈祷で龍神を呼び雨を降らせた功績により、時の天皇から、大覚から遡って、日蓮、日朗、日像に菩薩号を、大覚に大僧正の号が贈られたといいます。

「勅賜三菩薩」の額

本堂に参拝し、「鬼子母神堂」へ。

鬼子母神は、もともとインドの神さま。
多くの子供を持っておりましたが、巷に出ては人間の子供をさらい、食べて、命を奪っていました。そこでお釈迦様がこの悪事を憂いて鬼子母神の子を隠されました。鬼子母神は自分の子がいなくなった悲しみに、今まで犯してきた自分の罪に気づき、お釈迦様に帰依し法華経の行者を守ることを誓ったそうです。
鬼子母神はそれからは柘榴を食べるようになったといいます。
現在では安産・子育ての神様となって祀られています。

鬼子母神が悔い改めたゆえに、鬼の角が取れたという謂れもあります。
散策日は堂内にいて提灯の文字が見えなかったのですが、後日、お庭から見ますと、「鬼」の字に角はありませんでした。


鬼子母善神。鬼が善神になったのですねー。
お堂の前、柘榴の木と教えていただきました。

はらはらと落葉が散る渡り廊下から、紅葉の美しい「四海唱導」の庭へ。


そして「孟宗竹の坪庭」

「光琳曲水の庭」

丸窓から眺めるとまた趣が変わります。

向こうには樹齢400年の赤松。りっぱでしたね。

書院をはさんでつながる「抱一曲水の庭」

水琴窟の音色を聴いたり…
四つのお庭を堪能しました。

次に妙覚寺へ。

妙覚寺──
妙顕寺と同じ日蓮宗の寺院。今日訪ねる三つの寺院はみな日蓮宗です。
妙覚寺は美濃国の戦国大名・斎藤道三とも関係が深いお寺。道三の四男は当寺十九世の日饒(にちじょう)
道三の娘・濃姫(帰蝶)が織田信長に嫁していたことなどからも、信長は本能寺とともに妙覚寺をよく宿所としました。当時の妙覚寺の場所はここではありませんが、本能寺の変の際には、信長の嫡男・信忠が妙覚寺に滞在しており、本能寺の信長、信忠ともに自刃した話は有名です。

歴史のお話より、とにかくこちらのお庭「法姿園」(ほっしえん)の紅葉は絶品です。


紅葉と杉苔だけのお庭。廊下におかれた机に映して眺める「机紅葉」!(^^)!

そしてお庭の奥には大切な場所が。

「華芳宝塔」(かほうほうとう)
日蓮が比叡山で学んでいた時代に書写した法華経が納められている石塔。
信長の叡山焼き討ち(1571)を逃れて今日ここに伝わっています。

さらに見どころ満載の妙覚寺。

どこからも眺めてみる価値あり、です。

額縁の松がここからも見られます。

時間があっという間に経ちます。
日が暮れてしまわないうちに本法寺へ。

本法寺──
本阿弥光悦や長谷川等伯ゆかりの寺。
本阿弥家は光悦の曽祖父が、この寺を開いた日親上人に出会い、信者となって以来、菩提寺として本法寺を支えてきたといいます。
等伯の「涅槃図」は京都三大涅槃図のひとつ、涅槃会の時期に掛けられます。

下は「十(つなし)の庭」

光悦の作庭と伝わる「巴の庭」へ。

経年によりわかりづらくなってはいますが、巴の形の築山が三か所あり、「三巴の庭」と呼ばれています。侘びたたたずまいのお庭でした。



庭の中、手前の円形の石が「日」を、向こうの十角形の蓮池が「蓮」を表わします。(10月撮影)


見学も終わりに近づき、縁側でくつろぎのひととき。

本法寺を後に、堀川通の慈受院でごあいさつ、解散とさせていただきました。
長時間の散策、お疲れ様でした。
またの機会、お越しくださいますようお待ちしております <(_ _)>

 

 

秋の散策  萩の花と念仏と

9月24日、10月1日は、夏を思わせる気候となりましたが、ともに好天に恵まれ、散策は無事終了しました。
両日と下見の折の写真などとりまぜ、ご報告いたします !(^^)!

散策は、出町柳駅近くの光福寺、通称「干菜寺」(ほしなでら)からスタートしました。

「南無阿弥陀仏」とお念仏を唱えながら鉦と太鼓を打つ「念仏六斎」の総本寺。

豊臣秀吉が鷹狩の際に立ち寄り、乾菜を献上したことで「干菜山光福寺」の名を与えられたそうです。


境内には浄土宗の開祖・法然上人の若き勢至丸の頃の像。今日は法然上人ゆかりの寺院を訪ねます。

百万遍知恩寺へ。

「賀茂のかわら屋」「今出川釈迦堂」などと称され、法然上人が念仏の道場とし、のちに高弟の勢観房源智(せいかんぼうげんち)が寺としました。
上人と源智の師弟の深さを知るお寺でもあります。
本堂には法然上人像、脇に源智像、そして法然上人の意を受けて快慶がつくったとされる阿弥陀如来像が祀られています。

境内には、宋から送られたという平重盛ゆかりの「阿弥陀経石」の写しが置かれています。重盛のひ孫は源智と伝わっています。




法然上人が、比叡山黒谷別所青龍寺で修行ののち人々を救うため浄土宗開宗にいたったお話、「聖」(
ひじり)や「別所」に関わるお話。いつか講座でもお話できればと思います。

今出川通を東へ。
堤先生のお気に入りだった「パティスリー タツヒトサトイ」をご紹介。
北白川の志賀越道(しがごえみち)に建つ二体の石仏も見学しました。

そしてこちらの大きな石仏は、白川女が町へ花を売りに出るときに必ずお参りしたそうです。

神楽岡通に入り、南へ。

ご存じ「茂庵」へ至る石段。


「茂庵」は茶人の谷川茂次郎がつくった茶庵の一つで、大正末期に建てられましたが、おなじく茂次郎が建てた住宅群が近くに並びます。



石段の山道から望む大文字山もいいですね。



一番上まで上った方から萩の写真をいただきました。

茂庵は、8月14日で、惜しまれつつ営業を終えましたが、来夏をめどにリニューアルオープンされるそうです。楽しみです。

神楽岡通に戻って。

右手は後一条天皇の菩提樹院陵。吉田、神楽岡界隈は天皇・皇族、貴族の陵墓の地でありました。

黎明教会の資料研修館で、琳派の美術品などを見てひと休み。
外はかなり暑いです!

「軒端の梅」で名高い「東北院」を通り、
「萩の寺」として知られる「迎称寺(こうしょうじ)」は時宗のお寺。

土塀のまわりに咲く紅白の萩。

ようやく「真如堂」に着きました!


山門には敷居がありません…。なぜでしょう? (^-^)


境内の緑は少し色づき始めています。初秋の色ですね。

真如堂は十夜(じゅうや)念仏発祥の寺。
法然上人、親鸞聖人も参籠し、不断念仏の道場として、念仏行者や庶民、特に女人からの信仰をあつめてきました。
11月5日~15日は「お十夜」の法要が盛大に営まれます。

「涼しさの 野山にみつる 念仏かな」 去来

手水はボタン操作で出ます。でもすぐ止まる。省エネです(笑)

三重塔は再建されてからでも二百年余り。風格ですね。


左手の大きな木は「花の木」。真如堂は三井家の菩提寺で、三井家より寄贈されたこの木は境内で一番に色づき始めるのだそうです。

「たてかわ桜」

春日局が父・斎藤利三(としみつ)の菩提を願って植えたという「たてかわ桜」。二代目ですが、お隣に三代目の若木も育っています。樹皮が縦目になっています。

光秀の家臣であった利三が六条河原で晒されているのを奪って、この真如堂に埋葬した、友人の絵師・海北友松の物語。また春日局の父を想う心情を、堤先生からお話しいただいたことがありました。
ここに皆さまをお連れするのが散策の目的だったかもしれません。
写真ではわかりにくいのですが、真如堂も萩がたくさん植えられています。



弁天池


本堂に参拝し、書院と庭へ。



夏には紫陽花でしたが、菊花が添えられていました。


こちらは「随縁(ずいえん)の庭」
三井家の家紋「四ツ目結文」をモチーフに作庭されています。

奥の「涅槃(ねはん)の庭」へつづく庭。

燈籠は「燈明寺灯籠」というのだそうで、枯山水庭に景を添えています。

「涅槃の庭」


お釈迦様が横たわり、入滅のときの情景。
参加の方から、周りの石たちがお釈迦様のほうに向いていますね、と教えていただき、よく見ると、なるほど!

大文字を借景にして閑かです。

ここで散策は終了となりました。長時間お疲れさまでした。

お越しいただきました皆さま、ありがとうございました。
今回ご参加いただけなかった皆さま、いつかの京都散策のご参考になれば幸いです。

 

 

 

泉涌寺 散策 ご報告

6月25日、東山区の泉涌寺を訪ねました。蒸し暑いながらも雨は降らずに無事終了することができました。
ご参加の皆さま、ありがとうございました。

皆さまからいただきました写真も含め掲載させていただきます。午前・午後の二回行いましたので、ご紹介写真の順序は異なります。

皇室の菩提所として知られる「御寺(みてら) 泉涌寺」
総門を潜ると、清浄な空気に包まれます。

戒光寺(かいこうじ)
「丈六さん」の名で親しまれていますが、本堂屋根の修復のため、現在は降ろされて、ふだんは見られない屋根瓦を拝見しました。雷神、贔屓(ひいき)、宝珠を戴いた龍など、多種にわたります。

新善光寺では、信州の善光寺御開帳にともない、二日間にわたり、同体同形のご本尊阿弥陀如来像をご開帳され、ご住職のご案内のもと拝観させていただきました。


紫陽花のお庭

桔梗も美しく!

長い坂を上り、大門へ。扁額は山号の「東山(とうぜん)
立派な四脚門を見上げます。蟇股(かえるまた)の彫刻や菊の御紋の彫が素晴らしいです。



楊貴妃観音堂へ。なにやら内緒話?

湛海(たんかい)律師が寛喜2年(1230)に南宋から請来したという木像。現在はいつでも拝観できますが、昭和31年までは100年に一度の御開帳でした。

           楊貴妃観音像 泉涌寺HPより

泉涌寺の名の由来となった泉涌水屋形を見学、降り参道の向こうに仏殿が見えます。



泉涌寺ならではの景色ですね。いつ来ても清々しいです。


仏殿
は、裳階(もこし)付き一重入母屋(いりもや)造りの本格的な禅宗様建築。
阿弥陀・釈迦・弥勒の三如来がお祀りされ、内部の天井は圧倒されるほど複雑な木組み。鏡天井に、狩野探幽筆の「雲龍図」が描かれています。
開山の月輪(がちりん)大師の木像、伽藍神を参拝。

舎利殿霊明殿をめぐり、月輪陵(つきのわのみささぎ)を背後にひかえ清浄な空気感を感じつつ、

二階堂善能寺へ。

善能寺は、もとは現在の伏見稲荷御旅所にありました。「日本最初稲荷神石社」と呼ばれる所以です。

重森三玲の作庭になる「仙遊苑」

向かいの来迎院へ。
木陰になり森閑としたたたずまいです。



荒神堂への階段。

弘法大師が、大同元年(806)、唐の国に渡られたとき感得されたという三宝荒神が祀られています。

                     来迎院HPより

(かまど)に祀られることの多い荒神さまですが、こちらの荒神さまは安産守護としても知られ、「ゆな荒神」として、皇室より安産祈願に参られることも多かったそうです。

また、大石内蔵助ゆかりのこの来迎院では、本堂に、内蔵助が討ち入り成就を祈願したという念持仏「勝軍地蔵尊」が祀られていました

さらに、本堂には「祇園社悪王子社の本地仏」が祀られ、ご参加の方からの質問に、江戸時代頃は、祇園祭長刀鉾のしめ縄を結ぶ斎竹(いみだけ)を、来迎院から納められていたことをご住職より教えていただきました。祇園祭とご縁のあることに、一同驚きました。良い質問をしていただきました。

大石内蔵助の建てた茶室「含翠軒」(大正時代に建て替え)

書院には内蔵助の肖像がかかります。

縁側から含翠の庭を眺めるひととき。まさに翠。


弘法大師が掘り出したという独鈷水(とっこすい)。
午前にはご案内できませんでしたので、写真でご覧ください。
扉を開けて汲み出していただきました。


まだまだご紹介したい写真は尽きませんが、ここまででご報告とさせていただきます。訪ねてみて初めて知ることの多かった散策でした。

いよいよ京の蒸し暑い夏がやってきたようで、当日はたいへんな暑さの中での散策となりましたこと、お詫びいたします。

皆さま、どうかくれぐれもご自愛ください。
ありがとうございました (^-^)