ご報告

本日318日、京都北文化会館にて、堤勇二講師が京都世界遺産講座を再開、正規の講座としては約9か月ぶりに復帰を果たされました!
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昨年625日の京都、73日の東京での「祇園祭」講座以来になりますが、長期にわたるブランクを感じさせない熱弁、京都では第二期シリーズの一回目「醍醐寺」について、約三時間にわたる充実の講義を聴くことができました。
さすがに世界遺産講座、しかも醍醐寺という、その歴史をはじめ、仏像、建物、庭園などすべてにおいて学ぶべきことのあまりにも多くの内容を、堤講師は画像を駆使し、丁寧に解説され、受講のみなさんは熱心に耳を傾けられていました。
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いつも感じることですが、堤講師から歴史や文化につて学ぶとき、その知識のみならず、先生が学んでこられたその精神性についても教えられることが多々あります。
神や仏に向かうときの心の有り様とでもいうのでしょうか。

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堤先生へ
京都・清遊の会のみなさまにとりまして、今日の先生の復帰を皮切りに、これからまた先生の京都学を学ぶことができますことは大いなる喜びとなります。
これからも本当に楽しみにしております。
お体に気をつけられながら、深く楽しい講義をよろしくお願いいたします。

堤先生の復帰を祝して!  
                 早春の景
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              東福寺境内にて
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            蓮光寺「駒止め地蔵」の桜

節分ご案内 報告

23日、節分案内を行いました。
雪が舞う底冷えの前日とはうってかわり、すっきり晴れて暖かい日になりました。

聖護院で集合し、まずは須賀神社へ。
この聖護院から吉田神社辺りにかけてはたくさんの人で賑わっています。
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須賀神社では今はもう有名になった烏帽子に水干姿の「懸想文(けそうぶみ)売り」
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梅の枝に懸想文を結んでいます。
 
本殿にお参りします。
右が須賀神社。左は交通神社です。
 
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須賀神社は、鳥羽上皇の中宮・美福門院得子の御願寺、歓喜光院の鎮守社として創祀され、
東天王社にたいして西天王社と称した歴史があり、須佐之男命、櫛稲田比売命が祀られています。
そして昭和39年に須賀神社から分祀し、創祀されたのが、左の交通神社。
久那斗神(くなどのかみ)、八衢比古神(やちまたひこのかみ)、八衢比売神(やちまたひめのかみ)の御祭神は道が八つにわかれる衢(ちまた)の神で交通の要衝を守るとされます。

堤先生に昨秋の講座で教わったとおり、今年は、『古事記』が成立して
1300年とのことから、この三座のお話をさせていただきました。

もともと当社は旧聖護院村の産土神(うぶすながみ)。
毎年510日に行われていた「角豆祭り(ささげまつり)」は、角豆に多くのさや豆が生まれるごとく子孫繁栄を願っての祭りでしたが、今は節分の「懸想文売り」にとってかわりました。

長い時間を経て、土地の産土神を祀る神社から、季節を司る祭りや、祭神を分祀し本来の祭神を祀る神社への移行には、現代に適った役目を負う決意が表れているといえます。


懸想文売りが覆面をしているわけを聴いたり、懸想文は鏡台や箪笥にしまっておくと美人になるとか良縁がくると聞きました…。
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数年前から売られているという須賀多餅もおいしそうです…。

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求肥にくるまれた柚子風味と梅風味
そしてこの木が角豆(ささげ)の木です。
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さて須賀神社を出てお辰稲荷へ。
お辰稲荷神社は、江戸時代、東山天皇の女御・新崇賢門院(しんすうけんもんいん)の霊夢によって創祀された神社。
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宇賀御魂神(うかのみたまのかみ)、猿田彦神、天宇受売神を御祭神としています。
琴の上手なお辰狐を祀るといわれ、江戸庶民の信仰を集めたお社。

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さて、歩道橋を上り、丸太町通りをわたりました。
(誰かさんなら上れなかったでしょう。でも全然怖くないですよね!)



気持ちいいですね。前方は東山の山並み。右手の塀は平安神宮。
ちょうど、美福門院の歓喜光院があった辺りでしょうか。

丸太町通を南に折れ、岡崎道へ。

岡崎道西北の交差点には小沢蘆庵(江戸時代中期の歌人)旧宅で、また蒲生君平(江戸時代後期の儒学者。寛政の三奇人のひとり)の旧宅でもあった碑が建っています。
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岡崎道から平安神宮の塀に沿って西へ。
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向こう側中央に見えているのは京都市美術館。
手前のグラウンドは鳥羽天皇の御願寺、最勝寺の跡。そして美術館の辺りは鳥羽天皇中宮・待賢門院璋子の御願になる円勝寺があったところ。

平安時代末、この辺り一帯は、正確には北白河と呼ばれていました。
白川をはさんで南側は南白河と言ったのだそうです。
北白河は貴族が住み、六波羅を中心とした南白河は武士が住んだところであったそうです。
さて、平安神宮に着きました。
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ここで平安朝当時の「追儺式」が再現され、「大儺の儀」が執り行われます。

碧の瓦や社殿の朱色が鮮やかです。
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いよいよ大儺の儀(だいなのぎ)が始まります。


東の方から上卿(しょうけい)・殿上人(でじょうびと)が童(わらわ)をしたがえて入場し、五位・七位の儺人(なびと)が続きます。
西の方からは、陰陽師(おんみょうじ)が6人の斎郎(さいろう)をひきいて入場しました。
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儀式をつかさどる陰陽師が独特の歩き方で版の前に進み、祭文(さいもん)を奏上。
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文の途中で黄金4つ目の面をつけた大舎人(おおとねり)の方相氏(ほうそうし)がシンシ(子どもの所役)8人をひきいて入場。 

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上卿が中央に進み、北東と北西に向かい桃の弓で葦の矢を射ます。
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殿上人が同様に桃の杖で、北東・南東・南西・北西と四方を撃ちます。

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方相氏は常人の倍の眼力で睨み、矛と盾を打ち鳴らし「鬼やらう」と発声しながら、斎場の周囲を3度廻ります。
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後にはシンシと儺人(なびと)が「鬼やらう」と発声しながら続きます。
応天門でも同じ儀式が行われました。
 
つぎは鬼の舞です。

大蔵流、茂山社中扮する邪鬼たちが応天門より侵入してきました。


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境内をわが物顔で暴れます。
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大極殿まで占拠したようです。
ここで得意げに舞を舞っていますが…。
やがて市民代表の撒く打豆によって退散!


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そのあとは楽しい豆撒きが始まりました。
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みなさん、たくさんキャッチできたようです。
 
さて平安神宮を後にして─。
いつもは観光バスの駐車場ゆえ、バスに隠れてみなさんあまりご存じないですが…

京都守護職屋敷の門
にきました。

現在の京都府庁付近にあった京都守護職屋敷の門の一つを
明治32年(1899)前後に現在地の旧武徳殿前に移した立派な門です。
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旧武道専門学校最後の校長であった鈴鹿野風呂の句碑
「風薫る左文右武の学舎跡」

旧武徳殿は、桓武天皇が武技を奨励するために東西に置いた武徳殿に由来しています。

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いまは北側に武道センターが建っています。

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ちなみに京都府庁の敷地内には幕末におかれた京都守護職屋敷跡の碑が建っています。


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               京都府庁 上京区下立売通り釜座
疏水を西側にわたり、京漆器の老舗、象彦へ。

まずは代々伝わる雛人形や、それに付随する見事なミニチュアのお道具の数々を見学。豆粒ほどのお道具が実に精巧にできていました。

展示場では、漆の木地の薄さに驚いたり、塗りの種類を教えてもらったり、漆の意外な性質に耳を傾けました。日本古来のものですが、知らないことばかりです。
圧巻は蒔絵の筆の秘密でしたね! 

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あっというまに時間が過ぎ、節分案内は解散とさせていただきました。
節分を越えると、まだまだ寒さは厳しくとも一歩ずつ春に向かいます。


春にはまた皆様とご一緒に町を歩いてみたいと思います。

その折にはどうぞよろしく!
京都・清遊の会では皆様のご参加を心よりお待ちしております!