戒光寺の星祭り 千本釈迦堂の節分会

ことしは厳しい寒さがつづいていますが、皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

節分には例年各地で多彩な行事が行われますが、京都の節分も賑やかです。ただし、ことしも昨年に引き続き控えめに営まれるところが多かったようです。

節分の日、東山区泉涌寺の塔頭、戒光寺(かいこうじ)では「星祭り法要」が営まれました。

戒光寺──
泉涌寺は皇室の菩提寺として知られますが、ここ戒光寺は鎌倉時代中期の開創になり、本尊は「丈六釈迦如来像」。立像のたけが一丈六尺(5メートル余)あり、「丈六さん」と呼ばれ親しまれています。蓮花の台座から光背の先までなら約10メートルあり、木造のお釈迦様の立像としては世界最大だそうです。

(戒光寺HPより)

仏様の喉元を見ると何かが流れているように見えます。
これは、江戸初期、後水尾天皇が即位争いに巻き込まれ命を狙われたときにこのお釈迦様が身代わりになられてついた血の跡だと言われ、このことから悪いことの身代わりになってくださる「身代わり丈六釈迦如来」と呼ばれるようになり、首から上の病気は特によく治してくださるとの信仰があります。


昔のことになりますが、昭和の初め頃まで中川の曽祖父と祖父がこちらの住職であった時代があり、二人の墓があります。なにより祖母や母の生家でした。現在はすっかり代が替わられましたが、そのご縁もありお墓に参ったりしています。


節分星祭り「大般若転読法要」──
星祭りは、年の節目である節分に、悪い星は無難に、良い星はより良く過ごせるようにお願いする開運厄除の祈祷会。
節分には、神社では「追儺(ついな)」が、寺院では「星祭り」が営まれます。

星祭りは密教系の寺院で行われることが多いようで、掲げられるのは「星曼荼羅」など。
九曜星の九つの星や、北斗七星の七つの星の内の一つを、その人の生まれ星として本命星(ほんみょうじょう)と定め、運命を司る星と考えます。
また、一年ごとに巡ってくる運命を左右する星は「当年星」(とうねんじょう)。これらの星を供養し、個人の一年間の幸福を祈り、災いを除くというものです。



(中と下の写真はHPより)

法要のあと、御祈願のお札が授与されました。みなさん家族の分やグループなどで申し込まれています。名前を呼ばれてご住職からお手渡し。押しいただくように手元に。有難く、安堵の心持ちです !(^^)!

さて、戒光寺は、昨年8月の豪雨で本堂の屋根が崩落するというアクシデントに見舞われました。けが人や他の建物への被害はなかったものの、壁に沿って折れ曲がり落ちてしまった屋根の部分の下には、開祖・曇照忍律(どんしょうにんりつ)上人像やほかの仏様も安置されていて、別の場所へ移動させ、修復することが急務となりました。

改修工事は部分的な工事ではなく、傷んでいる屋根全体を修繕しなくてはいけないことがわかり、開創800年事業に向けての矢先、この崩落が起こったそうですが、莫大な総事業費を檀信徒さんに頼るだけでは間に合わず、CFで資金を募るプロジェクトを立ち上げられました。
私方はわずかなご協力でしたが、清遊の会でも一部呼びかけさせていただき、ご協力いただいた方もございました。

囲んだのが崩落した部分)
(崩落直後)

屋根の修復工事は現在も進行中なのですが、法要の後、現場を見せていただきました。本堂は裳階(もこし 屋根の下に下屋根がつき二重の構造)になっていますので、崩落した裳階の階と、上の階と、上下ふたつの足場に上げていただきました。
下は崩落した屋根を切り取ったところ。

ここをぐるりと回りさらに上の屋根へ。

ここで思わぬ眼福を得ることになりました。ユニークな屋根瓦の数々。


鬼の顔は少しずつちがいます(笑)
さらに…

龍も!

雷神もいます。

見る方向によって印象がちがいます。

ここで見ることができた瓦はみな「貞享元年甲子九月日」とありました。1684年。300年以上ですね! 反対側には奉納した人の名前も彫られています。


天狗 (*’▽’)? 
節分にこんな鬼さんに出会えるとは  !(^^)!
さらに珍しいのは、阿吽の贔屓(ひいき)。
これは裳階の屋根にあり、上手く撮れず、HPからです。


今日はちょうど見学できる状況ということでご案内があり、珍しいものを見せていただきました。
見ている時は夢中でしたが、さて終わって、二階から降りるときの怖さといったら! 高💦

おかげさまで工事は今秋にも終了し、来年の「花まつり」頃には落慶の予定ですので、皆さんでぜひお越しくださいとのことでした。清遊の会でぜひ拝観にうかがいたいと思います!

さて、15時からは千本釈迦堂でおかめ福節分会に。今日は二本立て(笑)。

おかめ福節分会──
年男年女の方々が参列、厄除祈願の法要が営まれます。
おかめ像前での法要、上七軒の舞妓さんによる舞や番匠保存会による木遣音頭が奉納され、



茂山千五郎家による狂言「古式鬼追いの儀」。
出た出た!




マスクしてます…

豆撒きも鬼との勝負がなかなかつかないところで、おかめが登場、鬼は退散。

めでたしめでたし。さいごは招福豆まきが行なわれました。

はじめに、いまだコロナ禍であり、考えに考えて今日の節分会を迎えました、とお寺のご挨拶がありました。
終わるころにはたくさんの人が見学されていました。
やっぱり京都の節分はこうでなくては !(^^)!
来年はさらに賑やかな節分となりますように。

 

 

 

 

2022 初詣案内ご報告

1月15日、「七本松通の寺をめぐる!」の初詣案内は無事終了しました。前日は京都市内も8センチの降雪でしたが、翌日は天気も回復し、充実した散策となりました。
一部ですが、写真でご報告とさせていただきます。

華光寺の毘沙門天像にお詣り。

「封じ毘沙門天」の壺。悪いところを書いて奉納するのだそうです。

お向かいの光清寺。
弁天堂の「浮かれ猫の絵馬」
絵馬に描かれた猫が、近くの遊里から流れる弦歌にのって、絵馬から抜け出て踊り舞った話。

寺院の多いこの地が、遊里にも近かった歴史が垣間見えます。

下の「心和の庭」は玄関前の「心月庭」とともに重森三玲作。
(通常非公開、公開時の撮影)

出水通七本松の近辺には多くの寺院がありますが、この地は大内裏の「宴の松原」であったところ。

観音寺は伏見城の牢獄の門「百叩きの門」で知られますが、

もとは一条にあり、浄蔵貴所が一条戻り橋で父の三善清行を蘇生させた、その祈願をこめた観音様が祀られるお寺でもあります。

お庭ではだれが寝ているのかと思いきや?

ちらっと見せてね…
ワオ !(^^)!    参加のみなさんが発見されました😊

下ノ森通。むかしは相合図子通。遊里の名残を漂わせるかのように愛染明王が祀られるお寺もありました。

優しいお顔の石仏も道路から拝むことができました。

清和院では


地蔵菩薩立像をはじめ、阿弥陀三尊像や不動明王を参拝しました。

お越しいただいた皆さま、今回ご参加いただけなかった皆さま、
今後も情勢をみながら、講座や散策をご案内いたしますのでよろしくお願いいたします。