はやくも梅雨入りとなったようですが、まだまだ新緑が美しいですね。
左京区一乗寺の曼殊院では、宸殿が150年ぶりに再建されたことを記念して、6月30日まで「秘仏国宝黄不動明王像」の特別公開が行われています。
曼殊院がこの地で現在の姿を整えたのは明暦2年(1656)、29世門主の良尚(りょうしょう)法親王の頃。
良尚法親王は、桂離宮を造営した八条宮智仁(としひと)親王の第二皇子で、天台座主を務め、また茶道、華道、和歌など諸芸に通じた教養人でありました。
大書院から小書院へつづく枯山水庭園。
縁側の庇は深く、庭との一体感を感じさせます。向こうに見える鶴島の五葉の松は樹齢およそ400年。なんとも個性的な松です。
庇の長い軒桁(のきげた)を先日の北山杉講座でご紹介しました。
小書院前には亀島が配され、
縁先の欄干は舟縁をイメージし、此岸から彼岸へわたる船の趣。下は角度を変えて見ています。
ふくろうの手水鉢
さらに小書院の「富士の間」から右手を眺めると、山の風景。
右奥の山から流れる水が石橋をくぐり、水分石(みずわけいし)で川が二分され、大海へと流れ込む様子を表わしています。
庭から目を転じると「黄昏の間」の床には「曼殊院棚」。「富士の間」との境の菊透かしの欄間も必見です。小さな桂離宮と言われる所以です。
大書院からつながる廊下も、新しい「宸殿」も清々しく、心静かに「黄不動明王像」を拝観させていただけます。
曼殊院は、1872年(明治5)に療病院(現・京都府立医科大学附属病院)の建設に際し、支援のために宸殿を売却し、寄付されたのだそうです。この度は、その歴史を知った支援者はじめ多くの人の寄付によって新しい宸殿が建てられたそうです。
宸殿前庭は、書院の庭とは打って変わって静かな白砂の庭。
下は流木に見立てた「貴船岩」。大海に住み、百年に一度、息継ぎのために海面に頭をだすという亀にたとえられています。
さて、ほど近くの詩仙堂へ。
このあたりはほかにも金福寺や圓光寺があり、一緒に散策したい所です。
詩仙堂は、江戸時代の文人、石川丈山が1641年(寛永18)、59歳のときに造営、晩年をすごした山荘で、現在は曹洞宗の寺院。サツキの刈込が見事です。
「詩仙の間」の四方に、狩野探幽(1602~74)が描いた中国の詩家36人の肖像画があり、各詩人の肖像画の頭上に、丈山が隷書体で記した漢詩が書かれています。この「詩仙の間」を中心としていることから「詩仙堂」と呼ばれます。
狩野探幽という画家は、二条城や御所や桂離宮、曼殊院、大徳寺、そしてここ詩仙堂でも…多くのところで、自在に描いているのですね。
詩仙堂は「凹凸窠(おうとつか)」とも呼ばれるだけあって、山の斜面に沿って作られていて、ここからでは庭の全貌はわかりません。
サツキの刈り込みの奥の石段を降ります。
石段脇にはさまざまな草花。
降りると池があり、この池にも多種の花木が 咲いていました !(^^)!
アヤメ、京鹿の子、ほか名前がわかりません。
水の流れる音は絶えず、丈山が考案したといわれる添水(そうず)=ししおどしも響きます…。
先の景色が見渡せないのもどこかと同じですね。ワクワク感です。さらに下へ。
ここは山の趣、緑いっぱいです。白いのはガクアジサイですね。
さらに流れを渡ると、5月23日の命日にちなんで、三日間のみの丈山の遺宝展が開かれていました。
みなさん熱心に見学され、ここにも静かでゆっくりした時間が流れていました。
しばらく不順な天候が続きそうです。
どうかくれぐれもご自愛ください。