晴天に恵まれた4月5日、西京区の浄住寺と地蔵院を訪ねました。
阪急電車「上桂」駅から西へ。
ここは、左は浄住寺へ、右は苔寺・地蔵院へ、まっすぐ行くと「唐櫃越(からとごえ)」の分岐点。
唐櫃越は亀岡市につながる山道。戦乱の時代、山城国と丹波国を結ぶ軍道だったそうです。
浄住寺へ。
閑静な住宅地のなかにお寺があります。
ご住職が迎えに出てくださり、お庭をご案内いただきました。
亀甲竹(きっこうちく)の竹林。不思議な竹です! ほんと亀甲。でも上の方はふつうの竹のように生育しているのだそう。
お庭には、四方竹(しほうちく)や茶ノ木、いろいろな植物が育っていて山の中にいるような、自然に囲まれた素晴らしい環境です。
葉室山 浄住寺
弘仁元年(810)嵯峨天皇の勅願寺として、第3世天台座主・慈覚大師円仁(えんにん)によって開創されたと伝わります。いくたびも兵火に遭い、変転を繰り返してきた歴史があります。
鎌倉時代、公家の葉室定嗣(はむろさだつぐ)が、西大寺の僧・叡尊(えいそん)を請じて再建、真言律宗の寺となり、江戸時代に黄檗宗の鉄牛(てつぎゅう)禅師が中興、現在は黄檗宗の寺院。
本堂へ──
須弥壇に祀られるのは、ご本尊「釈迦牟尼仏」
両側には、坐禅をおこなうための板敷の床が張られています。
ご住職みずから、黄檗宗のお経をきかせてくださいました。唐韻(とういん)という中国から伝わった発音で、音楽のようです。びっくり!
中ほどがすり減った板木のお話も。
本堂に安置される「達磨大師像」や「伽藍菩薩像」など詳しいご説明を、皆さん、熱心に聴いておられました。
本堂から、奥にむかって一列に、位牌堂、開山堂、寿塔が並んでいます。黄檗宗の寺院の特徴と聞きました。
本堂から回廊づたいに方丈へ。
方丈では──
方丈のご本尊「木根(もっこん)観音」のお話。
狩野永岳(えいがく)筆「雲龍図」や、襖絵を拝見。
こちらの方丈は、仙台藩4代藩主・伊達綱村(だてつなむら)が幼少期を過ごしたお屋敷を当寺へ寄進、移築されたもの。武家屋敷の遺構で上段の間があります。
仙台藩の「伊達騒動」はよく知られていますが、幼い綱村が命を狙われることもあったためか?「武者隠し」があり、床の間の壁に仕掛けがあります!
そこで鈴木先生に……まさにここでこそ!のお話。
「伊達騒動」に取材し、歌舞伎や人形浄瑠璃の演目となった「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」のストーリーなどお話いただきました。
「みなさん、きょう、散策前にお饅頭がくばられましたよね? 毒饅頭じゃなかったですか?」
ドキッ! 主君を守るため、饅頭の毒見をしたお芝居のストーリーがよぎって、爆笑。
時間があっという間に経ちます。
手厚くご案内いただいた浄住寺を辞して、
地蔵院へ向かいます。
竹寺 地蔵院
南北朝時代の貞治6年(1367)守護大名で室町幕府2代管領の細川頼之(よりゆき/1329~1392)が、夢窓(むそう)国師の高弟・宗鏡(そうきょう)禅師(1291~1374)を招請して伽藍を建立。この地蔵院も応仁の乱などで灰燼に帰した時代があります。現在は、臨済宗の単立寺院。
(なにが可笑しいんでしょうね??)
本堂には「地蔵菩薩像」を中心に、夢窓国師、宗鏡禅師、細川頼之の像が祀られています。
方丈には、猪の目窓のあるお茶室。
細川護熙氏の「瀟湘八景の図」襖絵など拝見。
「十六羅漢の庭」を眺めながら、夕暮れ時、ほっこりさせていただきました。
竹林と苔の美しいお寺。
閉門ぎりぎりまでお邪魔をしてしまいました。
帰りはまた「上桂」駅まで。
今回は浄住寺の藤岡さまにご案内いただき、
興味深く、愉しい見学ができました。
誠に有難うございました。
清遊の会の皆さま、たいへんお疲れさまでした。
また、次回もよろしく!
皆さまのお越しをお待ちしています!