清遊ブログ  眞如寺 「半僧坊大権現」御開帳大祭にて

さわやかな季節となりました。

五月晴れの日曜日、衣笠にある眞如寺を訪ねました。

今日は約60年ぶりに「半僧坊(はんそうぼう)大権現御開帳大祭」が営まれるのです。

眞如寺さんは等持院の東にあり、清遊の会事務局からも徒歩5分という近さ!

門前に着くと幟が立ち、参拝の方がつぎつぎ入っていかれます。

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眞如寺の境内に入るのは初めてです。

ここ眞如寺は臨済宗相国寺派の寺院で、鹿苑寺(金閣寺)・慈照寺(銀閣寺)とともに相国寺の山外塔頭の一つ。山号は萬年山。

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石畳を進むと、見事なかきつばたが見えてきました! 

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山門の手前、両側にかきつばたの群生。朝の光にまぶしげに咲いています。

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山門を潜ると受付があり、今日の次第を案内されています。

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                 半僧坊大権現がお祀りされる圓通殿

まずは法堂(大雄殿・だいおうでん)にお参りしましょう。

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この法堂は明暦2年(1656)後水尾天皇によって再興されました。

法堂は仏殿を兼ね、宝冠釈迦如来像、左右に勧請開山の無学祖元(むがくそげん)や、勧請開基の無外如大(むがいにょだい)尼など歴代の祖師像が安置されています。

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眞如寺は、弘安9年(1286)、無学祖元(仏光国師)の弟子で、京都尼五山筆頭の景愛寺住職であった、無外如大尼が、無学の遺爪髪を祀るための塔所として「正脈庵」(しょうみゃくあん)を築いたのを始まりとします。

無外如大尼の没後、康永元年(1342)に夢窓疎石が無学の師恩に報いるべく、執権高師直、足利直義の外護を受け整備し、眞如寺が開かれ、夢窓自身は二世となりました。

無学祖元は宋から渡来し鎌倉建長寺に入り、円覚寺の開山となった臨済僧。

その初住の中国浙江省台州眞如寺に倣い、寺号を眞如寺としたそうです。

そして弟子の無外如大尼は女性で初めて悟りの印可を受けた方。

眞如寺は正脈庵時代は尼僧が住持であったそうで、尼五山の第一とされた景愛寺の法統は、現在の大聖寺、宝鏡寺に継承されています。

宝鏡寺には無外如大尼にかかわるものが伝わり、その伝承を大切にされています。

ここ眞如寺は宝鏡寺宮歴代の菩提所でもあります。

ざっと知るだけでも驚きの由緒です。

定刻になり、ご住職の江上正道師はじめ僧侶方が「半僧坊大権現」がお祀りされている圓通殿に入られ、法要が始まりました。

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「半僧坊大権現」というのは、静岡県浜松市引佐(いなさ)町奥山にある臨済宗大本山方広寺の鎮守さま。

14世紀半ば、後醍醐天皇の皇子・無文元選(むもんげんせん)禅師が留学先の中国から帰国する際、嵐に遭遇し、この危機から船を救い日本へ送り届けたのが鼻高く眼光鋭い異人の半僧坊。

そののち、禅師が方広寺を開いたときに再び現れ弟子となり、禅師の遷化後、寺門護持、衆生済度を誓って姿を消したと伝わります。

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方広寺では鎮守としてお祀りしましたが、明治14年に大火に遭い、再建のため各地に勧進を行ったことから「半僧坊大権現」として全国に広まりました。

この大火では本堂や庫裡は消失するも、開山堂や半僧坊大権現を祀るお堂は燃えなかったことから火除けの神様ともいわれます。

眞如寺の「半僧坊大権現」は、大正元年に相国寺山内に勧請され、大正7年(1918)に当寺に遷座されました。

寺門護持の鼻高く眼光鋭い半僧坊さまは天狗のような超人になぞらえられるのでしょうか、その紋は羽団扇(はうちわ)になっています。

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西陣の浄福寺を大火から護ったという鞍馬の天狗を思い出しますね(笑)

半僧坊大権現、さらに境内の豊川稲荷社、弁才尊天への読経と回向が続き、真言唱和。

さらにご住職により参拝の方々の肩を撫でていただけるとあって長い列ができました。

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御祈祷のお札をいただき、茶席へ向かいました。

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茶席は書院につづく客殿に設けられています。

書院にあがり、ひと休みさせていただきました。

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書院の襖絵は原在中(ざいちゅう)の西湖図。

原在中は応挙、伊藤若冲、与謝蕪村らとともに江戸後期の京都画壇で活躍した画家。

雄大な画の前で静かなひととき。

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今日のお茶席はたいへん盛会のようで、庭を散策しながら順番を待ちます。

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幽邃なたたずまい。池に映る木々が深遠な趣を醸し出しています。

この庭は昔、等持院の東の庭に続いていたのです。すなわち等持院、東の庭はここ眞如寺の庭だったのです。

驚きですね!

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さて、お茶席へまいりましょう。

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待合の床には半僧坊大権現の軸が掛かっていました。違い棚には舟の香合。

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いよいよ席入りです。

今日はうれしい驚きの連続なのですが、このお席にもびっくりしました。

長細い茶室で、二畳の床、さらにその向こうに一畳の床が設けてあります。

どんなふうに表現していいのかわかりません。写真をごらんください。

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点前が始まり、ご亭主が挨拶され、正客との会話がなごやかに流れてゆきます。

お菓子はなんと、羽団扇の紋です! 銘は「せいふう」とお聞ききしました。

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「青楓」ならお庭の新緑にぴったりですし、「清風」なら半僧坊さまの羽団扇が送るさわやかな風です。千本玉寿軒とのこと。

お茶は堀井七茗園。宇治七茗園と呼ばれる茶園の一つ、「奥の山」茶園で知られます。

しみとおるようなおいしいお茶でした!

そういえば半僧坊大権現がお祀りされているのは浜松市引佐町奥山でした。奥山つながりです。

風炉釜は富士釜に遠州の土風炉。

遠州といえば旧遠江(とおとうみ)国。昔は静岡の西部をそう呼んでいました。

やはり静岡浜松の方広寺とのゆかり。
遠州の風炉に据えられた富士釜は、遠江(浜名湖)から見える富士山の景色が連想されます。

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とすると…さきほど見た待合の舟香合は、無文禅師が嵐に遭遇したときの船!?

お棚に飾りのこされた蓋置の可愛らしい一閑人(いっかんじん)は無文禅師?

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流行りの「想像の翼を広げて」みましたがどうでしょう(笑)

格式あるなかにも今日の御開帳によせて取り合わされた趣向の茶会。ご亭主の細やかな心遣いが感じられます。

今日はこの眞如寺で、半僧坊大権現御開帳大祭やゆかりの茶席に参会し、境内をゆっくり散策、日が高くなる頃ようやくかきつばたの咲く参道をもどりました。

半僧坊大権現の御開帳は来年から五月の第三日曜に恒例として行われるそうです。

すばらしいところですので機会がありましたらぜひおでかけください!
それではまた。ごきげんよう。さようなら(笑)
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清遊ブログ  同志社の梅に

三月に入り寒い中にも春の兆しが感じられるようになりました。


風は冷たいけれどよく晴れた日、同志社大学の今出川キャンパスで。

御所の今出川御門向かいの正門から入って歩いていると満開になった白梅の木が目に入りました。
誘われるように木の下にきて見上げると、通路をはさんで向かい側に「クラーク記念館」がそびえるように建っています。

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いつもは学生たちで賑やかなキャンパスも今は春休みの時期だからでしょうか、ほとんど人気がなく、青空をバックに建つレンガ造の建物は
1枚の絵のよう。
空に向かって延びる尖塔も胸のすくような気持ち良さです。

クラーク記念館は神学館としてチャペルをもち同志社今出川キャンパスのシンボル的な建物。

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(新島襄永眠後、卒業生らが神学館建設に奔走していたところ、アメリカのクラーク
 夫妻が早世した息子のメモリアルのために寄付したもの。
1894年。重要文化財)

飽かずにしばらく眺めてまた歩き出し…

よく見るとここにもあそこにも、とあちこちに梅が咲いています。


紅梅も白梅もとりまぜて。

「ハリス理化学館」の横には白梅。清々しい白です。向こう側に見えるのは相国寺の屋根。風があるのでいい香りがしてきます。

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今年初めての梅の香にうれしくなりました。


この建物の前は紅梅が植えられていました。ハリス理化学館は二階が記念ギャラリーになっていますので、昨年見学された方もおられるかもしれません。

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清遊の会でも昨年六月に京都講座の一環で、相国寺とこの今出川校内をご案内しましたが、そのときは梅の木がこんなにあるとは気づきませんでした。


咲いてこそ気づくというもの、ですね(笑)


NHK
大河ドラマは「八重の桜」のタイトルで、八重さんは桜にもたとえられましたが、同志社の創立者で夫の新島襄はじつは梅をたいへん好んだのだそうです。
新島襄は「寒梅」によせて漢詩二篇を残しています。


 
 庭上一寒梅 笑侵風雪開

 不争又不力 自占百花魁

 
 
 庭上(ていじょう)の一寒梅(いちかんばい) 

 風雪を侵して開き笑(咲)く

 争はずまた力(つと)めず  

 自ずから占(し)む百花の魁(さきがけ)


 

一番咲きを競ったのでなく、自らの力で咲いて、百花のさきがけとなった寒梅。春の陽気に誘われて咲く桜ではなく、厳しい寒さに耐えて咲こうとする梅。


そんな梅を称えて、含蓄の深い詩。

もう一篇、

 
 真理似寒梅 
敢侵風雪開

 

 
 
 真理は寒梅に似り

 敢えて風雪を侵して開く


 

この詩は、お隣の「同志社礼拝堂」脇の「寒梅碑」に刻まれています。

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開拓者としての道は険しい道。新島襄は寒梅のように生きたいと願い、まさにそう生きた人でした。そして妻の八重もまた襄に寄り添い、夫亡き後もその精神を受け継いだ生涯を送りました。

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礼拝堂の前には紅梅と白梅が左右に植えられています。

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いま仲良く咲きそろう満開の梅。
 
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この紅梅と白梅。襄と八重にたとえておきましょう。(笑)

隣の紅梅とも調和して、馥郁たる香が匂っていました。
礼拝堂はプロテスタントのチャペルとして日本に現存する最古の建物です。

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(正面に円形のバラ窓、左右にアーチ窓、その前に屋
根と尖りアーチの入口を持つ。
1886年。重要文化財)

礼拝堂の西には彰栄館が建っています。京都では最古のレンガ造建築です。

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(礼拝堂とともにアメリカン・ゴシック建築。内部は
 純和風。
1884年。重要文化財)


横に回ってみると塔屋がよく見えます。
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この塔屋は鐘塔と時計塔を兼ねています。風格をそなえた美しさですね。惚れ惚れします。

ここにも梅が咲いていました。お気に入りの1枚、ごらんください。

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さて、せっかくここまで来ましたので、新しくできた「良心館」を覗いてみましょう。

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立派な建物ですね!

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良心館は烏丸通に面し、地下鉄今出川駅の連絡口もあります。

向かいは尼門跡の大聖寺、その隣はやはり同志社大学の「寒梅館」(写真下)があります。

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良心館は地階につづく大きな階段があり、降りると吹き抜けのテラスになっています。

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1階は広―い廊下を進むと、これまた広々したカフェテリアがあります。

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廊下には、有難いことに案内板が設けられ、工事中に出土した相国寺の遺物が展示してあります。

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床にも仏堂の基礎に使われた石などが見えるようにディスプレイされています。

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また歴史遺産シアターとしてパネルが設置され、この地の歴史や出土品の解説が行われています。

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相国寺や花の御所など、いずれ、清遊先生にぜひとも講義をしていただきたいですね!

ここ1階のフロアは一般の人も入れて、廊下を歩きながら歴史の一端に触れることができますので、御所や相国寺など近辺に来られる折に立ち寄ると面白いかもしれません。


そうそう、先生は四月から母校同志社大学で講義を持たれるのだそうです。

フラッと立ち寄られたキャンパスで、もしも…先生を見かけたらお声掛けください!()


キャンパスの風格ある赤レンガの建物と清楚に咲く梅は、冬枯れの景色に疲れた目にまぶしく映りました。
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ひとつひとつの建物は同志社英学校として出発して以来の歴史を繋いできた証し。
そして、同じ場所でも季節が移れば景色も変わるように、校内の梅の木にも初めて気づかされました。

いよいよ春。待ち望んだ季節ですね。心動かされる風景に、また出会えますように─。


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