涼一滴

はや立秋を迎えました。
でも暑さはよりいっそう増す気配。今日の予想気温はなんと37℃!
秋へと変わりゆく季節の声をきくのはまだまだ先のようです。
今日ご紹介したいのは、「紫野源水」さんの「涼一滴」。
この猛烈な暑さの中、「涼一滴」と聞くだけで、爽やかな気分になります。不思議ですね。


紫野源水さんは北区北大路通り新町下ル、地下鉄「北大路」駅から西へ歩いて
10分ほど。
お店の前に植えられた大毛蓼の鮮やかな緑と
「京菓子司 紫野源水」の白い暖簾が涼しげです。


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一番のお目当ては白い煎茶茶碗に入った水ようかん。


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小豆風味とごま風味の二種。

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もうすぐ液体になる一歩手前のようなやわらかさ。

上品な小豆風味。胡麻の香ばしい風味。どちらも本当に美味!
瞬時に口の中で融けてしまう繊細な繊細なお味です。
「涼一滴」はたいせつに、傾けないようまっすぐに持ち帰りましたが、地方発送もしておられるのだそうです。
紫野源水さんは茶道の菓子などを調製されていますが、お店でも生菓子を求めることができます。
うかがった日にありました四種を。

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葛焼き「緑陰」

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                 きんとん「朝露」

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煉り切り「もらい水」

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錦玉「青楓」

「涼一滴」をいただいたあと…
「もらい水」のフォルムに見とれ、「緑陰」の緑色に見惚れ、「青楓」の感触を想像し、迷ったあげく
、「朝露」をいただきました。
うっとりするような美味しさで、紫野源水さんの、特にきんとんの大ファンになりました。
それから源水さんといえば銘菓「松の翠」。
大納言小豆にすり蜜をかけて、松の木に見立てた一口ようかん。
このやわらかさ、甘さは変わらぬ魅力です。

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銘菓「松の翠」 


「涼一滴」も生菓子も…蘊蓄もなにもいらない、ただただ美味しくて満足。
今日の素直な気持ちです。



 

 

 

涼をもとめて

8月6日

連日猛暑が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。

どこか涼しいところへと、鷹ヶ峰の「しょうざん庭園」を訪ねました。


金閣寺から北へたった1キロ足らず。

鷹ヶ峰三山を借景に35千坪の土地に庭園が広がり、

その中に染織ギャラリーをはじめレストラン、結婚式場などが点在した一大リゾートです。


京都・清遊の会では昨年、新緑の頃に近辺のお寺とともに訪ねました。
ここは緑あふれる別天地です。


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西の門から入ると鷹ヶ峰・鷲ヶ峰・天ヶ峰のうち、天ヶ峰のなだらかな曲線。

いつ来ても素晴らしいところです。もちろん、紅葉の時分は言うに及ばず。


染織ギャラリーの横を通り、散策開始です。

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ひっそりした小路をすすむと、左手に「お土居」が。

秀吉が洛中と洛外を分けるために築いたという土塁。
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今は、西賀茂、北野、そしてこの鷹ヶ峰に残っているくらいだと聞きました。

木々が繁り写真が撮れませんが、右手には京料理「千寿閣」があり、建物は近代京都画壇のひとり、鈴木松年の山荘を移築したものだそうです。

美人画で有名な上村松園が初めに師事し、松園の雅号をいただいたのが鈴木松年でした。


あじさい園を経て、緑の中へ。

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小さな滝が何段にも流れ落ちて水の音が爽やかです。

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清冽な川の流れに出ました!

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鷹ヶ峰三山のふもとを流れる「紙屋川」です。

流れは澄み、涼しい風が渡り、爽やかです。
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紙屋川の名は、平安時代、天皇の綸旨に用いる紙を漉いた紙屋院に由来するのだとか。

王朝の昔、この清流で公文書の紙が漉かれていたのですね。

そして紙屋院の支配下におかれていた紙座の存在も知られています。


源氏物語「蓬生」の段に「…うるはしき紙屋紙、陸奥紙などのふくだめるに…」と、紙屋紙の端正で美しいさまが書かれているそうな。末摘花が源氏の寵愛を離れ、ひとり寂しく暮らしているくだりですね。


紙屋川は途中、天神川と名を変え北野天満宮の西を通り、「天神川御池」の辺りで御室川と合流し、やがて桂川へと合流していきます。


昨年、北野の現地案内で、北野天満宮から平野神社へ行く途中で紙屋川
(天神川)を渡りました。

そのとき堤講師から、紙屋川はまさにこの二つの神社、神と神との間の谷を流れる川で、神谷川とも呼ばれてきたと教わりました。

そういえばその折、平野のお土居も見学しました。
そして北野天満宮境内の川沿いにあるお土居もよく知られています…。

このしょうざんにもお土居がありました。
お土居は紙屋川沿いに築かれていたのですね…
ということは、紙屋川が西あるいは北西の、洛中と洛外の境だったということ?
…知りませんでした。
東は鴨川が境だと何度も聞いていたのですが。

先生の話を聞き洩らしていたのか忘れたのか(汗、焦…)


さて、川の向こう側には床がしつらえてあり、楽しそうな声が聞こえてきます。

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小路は幾重にも重なる緑の中をさらに続いて、せせらぎや滝が現れます。
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また川沿いにも出たりしながら…
右手の石仏は降三世明王だそうです。ユーモラスですね。

立派な石橋を渡って広場に出ました。
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ぐるりと庭を歩いてきたことになります。

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この建物はやはり明治から昭和にかけて活躍した京都画壇の重鎮、榊原紫峰の屋敷を移したものだそうです。

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その横から川を覗くとびっくり!ちょっとした断崖絶壁です。

先生なら近づかないですね、きっと(笑)


さて、ここから「庭園」に入ります(観覧料がかかります)

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北山台杉と紀州石が巧みに配されたお庭です。

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ここの杉は一本の木の途中から数本の立木がまっすぐに延びています。

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下の写真のように天に向かって真っすぐに延びる北山杉はよく知られていますが、
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「台杉」というのはあまり聞いたことがありません。


台杉とは北山杉の生育方法のひとつで、一本の杉から「取り木」と呼ばれる台を作り、そこから枝を垂直に延ばして何本もの木を採取する仕立てのこと。


急峻な山が連なり森林が狭い北山杉の産地において、恒常的に北山杉を生産する方法として編み出されたもので、室町時代中期ごろから行われていたと伝わります。


足利義政の頃になると銀閣寺のように細い柱を使った建物を建てたり、茶室などに使われる垂木材の需要が増えたり、そしてなにより応仁の乱で京都の町が焼き尽くされ、木材の供給が追いつかなくなったことと深く結びついているようです。


北山杉には、磨き丸太や人造絞りなどいろいろと興味深い話があるようです。
そこからまた京都の歴史の一面が見えてくるのでしょう。


これはぜひ堤講師にいずれお話していただきたいですね。


ちなみにこのしょうざんの台杉はシロスギで、実をつけず花粉の心配はないそうですからご安心ください。


樹齢五百年の古木もあるという北山杉、青楓、桜などを次々通りぬけ、やわらかい苔むす岩を愛でつつ…。


茶室「玉庵」や中国風の建物「湧泉閣」など、次々に新しい景色が展開してゆきます。

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小川がめぐり、池へと流れ…。

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粋人好みの酒樽茶室や裏千家11世家元・玄々斎設計の茶室
「聴松庵」
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最後は弁財天にお参りしてひと回り終えました。

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なんと、しょうざんのお庭だけで堪能してしまいました!
素晴らしいお庭でした。


江戸時代、本阿弥光悦が芸術村をひらいたここ鷹ヶ峰には、源光庵、常照寺、光悦寺などの名刹がありますし、ご紹介したいとっておきのスポットもありますので、いずれ、清遊の会でまたこの地を訪ねたく思っています。


今日は、涼を求めての一日ということで爽やかに!お開きにいたします。


長々とおつきあいいただき、ありがとうございました。
それではまた。