京都・清遊の会 活動報告 五月

五月一日 和菓子の会と無隣庵庭園・南禅寺界隈散策

五月一日、南禅寺近くの無鄰庵で和菓子の会を催しました。
無鄰庵は、もと明治の元勲・山県有朋の別荘として一般に公開されています。
和菓子の会は二階の広間で、講師の井上由理子さんから、「葵祭の神饌」と「緑の和菓子」のお話をうかがい、その後、堤講師の案内で無鄰庵の庭園や南禅寺界隈を散策しました。
前日までの雨で木々や苔はたっぷりと水を含み、いきいきした無鄰庵のお庭です。
みずみずしい新緑に囲まれた建物のなかでお話を聴き、和菓子をいただき、また庭園を散策し、楽しい1日となりました

二階座敷にて.jpeg

画像を見ながらの解説。興味津々です。
まず井上先生の講義は葵祭のお話から始まり、上賀茂神社、下鴨神社の神饌について解説していただきました。
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葵祭 華やかな装いの斎王代

下鴨神社 神饌の調進がされる大炊殿.jpeg
下鴨神社 神饌の調進がされる大炊殿.JPG

下鴨神社 神饌の調進がされる大炊殿

下鴨神社 神饌.JPG

下鴨神社 神饌

当日は上賀茂神社の神饌「はぜ」に似せて先生自らが調製された「はぜ」や下鴨神社の神饌「餅(まがり)」のレシピで調製された「唐菓子」、同じく下鴨神社の神饌に近い「洲浜」をご持参いただき、一同で味見をさせていただきました。

飾り粽 川端道喜.JPG

「飾り粽」 川端道喜
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洲浜」 植村義次
たとえば「粽」や「洲浜」は私たちがいま和菓子として食しているもの。それが画像を見て説明していただくと神饌に由来していることが…。驚きです!
和菓子の歴史が遠い時代からいまにつながってきている、その一端を知ることができました。
次は、この時期に登場する「緑」にちなんだ和菓子を。
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「柳」

「翠」 千本玉寿軒.JPG

「翠」 千本玉寿軒
緑のお干菓子 有平糖 味噌せんべい 州浜など.JPG

「ほととぎす 水」

緑のお干菓子 有平糖 味噌せんべい 州浜など.JPG

緑の干菓子いろいろ
有平糖、みそせんべい、洲浜など


季節の風景が凝縮されてお菓子になっている、そんな感じがしますね。
さて、いよいよ今日いただく和菓子です。
なんだろうと思いきや、井上先生おすすめのこの時期しか味わえないえんどう豆のきんとんです。
はんなりという表現がぴったりの優しい色。
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えんどう豆のきんとん「岩根のつつじ」 聚洸
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きんとんのバリエーション
白いそぼろをのせると銘は「卯の花」に。

こうした意匠や銘からは、自然を和菓子に映した日本人の知性や想像力の豊かさを感じます。溶けるようにやわらかくてきめ細やかなお味!美味しくいただきました。
和菓子はこんなに小さいけれど、歴史に根ざした和菓子の世界は深くて広いのですね。魅力はつきません。


「葵祭と新緑の和菓子」の講義に続いて、堤講師による無鄰菴見学と南禅寺界隈散策が行われました。

無鄰菴母屋の二階で山県有朋と無鄰菴、植治と無鄰菴庭園についてのお話を聞きました。
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二階座敷からみた無鄰菴庭園


「隣なき世を隠れ家のうれしきは月と虫とに相宿りして」

「無鄰菴」命名の由来となった山県の歌を教えていただき、この名前は山県の出身地山口県吉田に造られた最初の別荘に由来しており、この別荘が三つ目の「無鄰菴」であること。

世に名高い「無鄰菴会議」が行われた邸内の洋館は、山県の気に入らず、植栽で隠してしまう計画であったこと。しかしこの洋館こそ、植治こと七代目小川治兵衛の庭造りに決定的な指針を与えた二人の人物、山県有朋と伊集院兼常に植治を引き合わせた建物であること。

二階でお話を聞くうち、降りしきっていた雨があがり、天然の打ち水に満たされた緑がなんとも素晴らしい風情です。

施主の位置から庭を造る、という植治が庭造りの基本を教わった一階主室床の間から庭を見た一行は、庭園にでました。

野芝と二筋の流れ、そして東山の借景という、この庭の主題に留意しつつ、庭に置かれた石がすべて伏せてあること、醍醐の花見で切り出そうとしてできなかった「秀吉の断念石」と呼ばれる巨石がここにあること、下段、中段、上段と地勢に応じた高さの庭が、絶妙に下から見えず、歩いて初めて得心できること、琵琶湖疏水から引いた三段の滝が左、右、左と振り分けてあり、これも醍醐三宝院庭園と共通すること、そして滝や流れに仕掛けられた音の秘密など、実際に見ながらの説明だけに説得力がありました。

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秀吉の断念石
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左右に振り分けた三段の滝組

その後、庭の奥から打ち返して母屋を見る、堤講師お得意の振り返って見る景色に、途中で切り落とされた母屋の屋根などの秘密を聞き、明治天皇から下賜された若松のいきさつ、利休堂をつぶして眺望台とした燕庵写しの茶室、歴史の生き証人たる洋館などを巡りながらとても興味深い話の数々をうかがい、無鄰菴をあとにしました。

南禅寺界隈散策

無鄰菴を後にした一行は、すぐ南に見える南禅寺の総門の話、隣の瓢亭の歴史、そしていま無鄰菴が建っている場所が、もとは著名な豆腐茶屋、丹後屋の南禅寺参道に沿って設けられた三つの茶店、口丹、中丹、奥丹の口丹であったことなど、驚きの話を聞きます。
現在唯一残る湯豆腐の名店「奥丹」は明治に復活したものだったのですね。

南禅寺の参道を西にそれ、上田秋成の墓がある西福寺へ。
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西福寺門前で秋成の話を。堤ワールド炸裂です。


無腸と号した秋成。妻・胡蓮尼を亡くし、さらに両眼の明かりさえ無くした秋成に自殺を思いとどまらせたのが当寺の玄門和尚であったこと。

江戸期に文筆をもって大輪の花を咲かせた秋成の話は、堤講師ならではの文芸談義となって、皆、堤ワールドに惹き込まれていきます。

その後、湯豆腐で有名な順正へ。

奥丹にも驚きましたが、この店もまた由緒正しき歴史の舞台だったのですね。

新宮涼庭。この聞きなれない医者の旧蹟は、京都のいや日本の医学教育史上記念すべき場所であること、また扁額は京都所司代間部詮勝の筆とも知りました。

奥丹にせよ、順正にせよ、秘められた歴史の由緒に本当に驚きの連続でした。
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南禅寺勅使門 重要文化財です。妻部の笈形に特徴が。

一行は何度も南禅寺を訪れながら、ほとんどその存在すら気づかなかった勅使門の見所を教わり、楽しみにしていた慈氏院の立ち姿の達磨さんが、時間切れで拝観できずがっかりしながら、野村碧雲荘脇の素敵な道を、疏水に沿って散歩しながら、本当に楽しいひと時を過ごしたことでした。
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野村碧雲荘横の道を歩きました。とてもよい風情でした。

京都・清遊の会 活動報告 四月

 

京都・清遊の会は四月末から五月初めにかけて立て続けに講座や現地案内を行いました。
4月23日 おもしろ講座 法然上人(座学・現地案内)
4月29日 世界遺産現地案内 金閣寺
5月1日  和菓子の会と南禅寺界隈散策
5月4日  世界遺産現地案内 延暦寺
5月8日  東京・世界遺産講座 醍醐寺

この間隙を縫って堤講師は7日に京都銀行で「葵祭」の講義を行われるなど、まさに八面六臂のご活躍でした。
以下、諸行事の報告を簡潔にご紹介します。

4月23日 おもしろ講座と現地案内

4月のおもしろ講座は京都・スーパースター列伝の二回目。
テーマは「法然上人」でした。
今年、八百年遠忌を迎えた浄土宗の宗祖です。

私たちは法然上人と呼び習わしていますが、
自分では「法然」と書いたことはないそう。
意外ですね。
名は最初の師・源光の源、
三番目の師・叡空の空からいただいた「源空」。
「法然」は房名なのです。

堤講師のお話は、「大原問答」から始まりました。
法然上人を語るのに欠かせない京都・大原の地がどんな歴史をもつのか、
「大原三寂」といわれる藤原三兄弟の話。
あの大歌人藤原定家の意外な出自に驚きです。
絵図 大原問答4.JPG
                 法然上人行状絵伝 大原問答


講義は大原問答から、法然の生涯へ。
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パワーポイントを使った解説はビジュアルで分かりやすいです。

法然の父は美作の押領使、母は秦氏の一族。
押領使の説明も受けました。
なるほど! 現在の「横領」の意味につながってくるのですね。

法然上人縁起絵巻の場面を追って法然の生涯が語られました。
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法然生誕の地が寺となった岡山の誕生寺本堂。
熊谷直実による建立です。

この「悪人」としか規定しようのない父と、
その財力ゆえに人の謗りを受けることの多かった母の血を受けた法然の出生。
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法然の父 臨終の場面 醍醐本は内容が異なります。

後世に定着する「聖僧」のイメージを背負って生きる法然と、
自らの「悪の血」を言えぬ「哀しみ」。
これこそが専修念仏、悪人正機、女人往生という日本仏教の革命を興した原点との解説。
難しいながらに納得でき、いつしか講師の解説に引き込まれてしまいます。

日頃は気にも留めていなかった座像の阿弥陀如来と立像の阿弥陀如来にこんな違いがあったなんて。
いまさらながら法然上人の存在の大きさを感じます。

それにしても私たちが親鸞聖人の言葉として記憶している
「善人なおもて往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」の有名なフレーズ。
実は法然上人の言葉だったなんて! 眼からウロコとはこのこと。

それに法然と親鸞の「上人」と「聖人」の違い。
次回親鸞の回で詳しく解説があるとのこと。今から楽しみでなりません。

講師の話は法然の生涯から、開教、迫害、そして流罪と展開します。
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浄土宗開教 雲霞の如く聞法の衆が訪れました。

法然ゆかりの地、さらに浄土宗四ヶ本山の紹介、
蓮生房(れんせいぼう)熊谷直実秘話……。
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西には浄土があると西にお尻を向けずに東上した直実
思わず噴き出すような解説も具体例があると効果的。

厚みのある、広範な視点からの解説に脱帽です。

そして極めつけ
法然上人の肖像画を見ながらのエピソード解説は最高でしたね。
「披講の御影」「鏡の御影」「足曳の御影」「張子の御影」と
本当に興味深い紹介の連続。
「法然頭」なんてまったく知りませんでした(笑)。
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頭頂部が窪んだ法然頭 なるほど!

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披講の御影 毛髪を残し、無精ひげ姿の真実とは!?

最後は少し駆け足になりましたが、
式子内親王と法然の消息、
玉桂寺の源智ゆかりの安阿弥様如来像などなど。
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法然上人一周忌の結願阿弥陀如来を伝えた玉桂寺本堂

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現在は浄土宗の寺宝となった
玉桂寺伝世の阿弥陀如来像

本当にもっともっと聞いていたかった!
時間切れになったのが残念でなりません。
午後 現地案内 法然寺

 

いつもながらの濃すぎる(?)内容に
時間の経つのをすっかり忘れて聞き入った午前の講義を終え、
一同は昼食を済ませて午後の現地案内へと向かいました。

今回の訪問先は上人の名前を冠したお寺「法然寺」です。
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法然寺本堂 法然院とは違うお寺です!


今は嵯峨に居を移しましたが、
その名は今も「元法然寺町」の町名に残る
上人と熊谷直実のゆかりを示す由緒ある寺院。
「法然上人二十五霊場」の札所でもあります。

ここで一同はとてもとてもお話好きなご住職様の、
熱のこもった楽しいご説明を拝聴しました。
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あえて繰り返します。とてもとてもお話好きのご住職でした。


ご本尊は法然上人が自ら刻み、
愛弟子蓮生に与えた上人五十三歳の像。
御像を覆うスクリーンが電動で開閉する仕掛けには一同ビックリ!
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法然上人自刻の自像 53歳の時のお姿だそう。


さらにご本尊を荘厳する釣灯籠は
直実着用の鎧で作られており、
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お厨子の前に吊るされた灯籠がそうです。

本堂横には上人の爪が埋納された御廟もあります。
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京都市内に四ヶ所 法然上人の御廟があるそうです。

こんなお寺があったなんて今の今まで知りませんでした。
お伺いしたときには降っていた雨も、失礼する頃にはすっかり上がり、
一同は直実ゆかりの向かい鳩の御紋が刻まれた瓦や門を拝見しながらお寺を後にしました。
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熊谷直実ゆかりの鳩が随所にありました。

今回の法然上人講座に相応しいお寺を紹介して頂けた講師に感謝です。

 

世界遺産現地案内 金閣寺


続いて4月29日は金閣寺の現地案内会を行いました。
大型連休が始まった初日。
しかも訪問先は京都屈指の観光地。
相当な人手の中での案内にかなりの混乱が予想されましたが、
東日本大震災の風評ゆえか、平素は日本人以上に多い
外国人観光客がやはり少ないようで
思ったほどの混乱もなく、要所、要所で講師の解説を堪能できました。

当日は晴天。
素晴らしい新緑の中、吹き渡る薫風が爽やかな、まさに好日。
最高の観光日和となりました。
青空を背景に建つ金閣のなんと見事なこと!
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絶好のロケーションでの金閣の雄姿


一同は鏡湖池を前景にした金閣の雄姿を見ながら説明を聞きました。

まばゆく輝く金は五倍の厚さをもつ五倍箔。
その下で金を支える漆は純国産、最高の品質を誇る浄法寺漆。
今回の震災での被害が心配されます。

こうした最高品質の素材を使い、最高の技術で仕上げられた金閣。
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人の想いの大切さを説かれる講師

しかし、その美しさを維持するのは人の思いと人の手なのです。
毎朝九時に開門する金閣寺。
その一時間前から、毎日金閣に上がり
金のほこりをとり、金の状態を確認する人がいるそうです。
どんな悪天候の日でも、
欠かさず二十年以上続けられているそうです。
目の前の金の輝きと相俟って、堤講師の話は胸を打ちます。
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日々続けられるメンテナンスあってこその黄金の輝きです。


空の青を受けて静かに金を映す鏡の池。
そこに点在する島々や巨岩の話もまた興味深いものでした。
なぜ、銀閣寺の錦鏡池にはある大内石がないのか?
三尊石や九山八海石の秘密などなど
そして金閣一層に安置される義満の像はなぜ天台の僧服なのか、
圧巻の解説が続きます。
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金閣の東側にある陸舟の松 名松です。


そして苑路に沿って歩きながら、かつて書院と結ばれていた渡り廊下や
明使を接待した天鏡閣の場所、逆光の中でひときわ映える見返り金閣、
西園寺家時代の名残を示す安民沢の逸話など話題は尽きません。
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西園寺家時代からの鎮守社 春日社を遷した榊雲

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龍門の滝の鯉魚石 定家が見た滝は果たしてこれか?

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豊かな水を湛えた安民沢 数々の雨乞いの舞台です。

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見返り金閣 ひときわ映える視点です。

金閣寺で最も高い位置にある茶室・夕佳亭では、茶道の歴史から
数寄屋建築の意匠、鴬宿梅の故事、犬王道阿弥の晴舞台と世阿弥の転落……
とどまるところを知らないかのように話は弾みます。
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さすがお茶に造詣の深い講師 解説も一味違います。

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つい見逃し勝ちな側面の意匠 丸、三角、四角の禅問答です

しばしの休憩を挟み、不動堂へ。
現在の鹿苑寺境内ではもっとも古い建物です。
かつて「洛中洛外図」に、金閣とここのみが描かれたように
弘法大師ゆかりの石不動としてとても知られた名所でした。
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境内最古の建物 不動堂。
用意された不動明王の写真がわかりやすかったです。

長い石段を降りた一行は、普段ほとんど見ることのない
鹿苑寺の南側を境域に沿って歩きました。
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金閣寺南側での解説 氷室道とも相俟った楽しいお話でした。

義満が一世一代の盛事、後小松天皇行幸時の正門の位置や
清遊の会ならではの秘密の金閣(笑)を見て
氷室道を歩き、氷室にまつわる話をうかがいました。


途中、いまだ町名に残る金閣寺の総門の話を聞き、
裏門から安産祈願の神社・わら天神に入りました。

敷地神社というのが正式な名称ですが、
この「敷地」の意味など、全然知りませんでした。
さらに、
祭神の木花咲耶姫とその親神・大山祇神、
そして姉・磐長姫の悲話
今に生きる神話の醍醐味を堪能しました。

それに本殿の妻飾りのきれいなこと!
思わず一同写真撮影会となりました。
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見事な流造の本殿 眼を瞠る妻飾りの美しさを堪能

しかし、
本殿の祭神より大事な神様が隣の六勝神社におられること。
この六勝神社と境内参道を通じて正対する古墳の意味。
付近にある六請神社との関係など。
初めて聞く話の連続でしたが、とても面白く、興味深いものでした。
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大北山の地霊神を祀る六勝神社拝殿 驚きの秘密が!


晴天に恵まれた絶好の環境での
金閣寺とわら天神の案内。
世界遺産の魅力と
京都の地霊神の秘密を堪能できた一日でした。
五月の行事報告は追ってアップします。
どうぞ、お楽しみに。