12月の清遊の会は、おもしろ講座と現地案内1日だけでした。
おもしろ講座は来年の大河ドラマにあわせ
「お江と戦国の女性たち」
がテーマでした。
54年の生涯を生きた崇源院、お江。
将軍正室で将軍の生母となったのはお江だけです。
お江とは
信長を伯父に
秀吉を義兄に
家康を義父にもつ
戦国時代きってのセレブ
夫は二代将軍
子は三代将軍
娘は天皇中宮
孫は天皇
というとんでもない女性
絶世の美女を母にもつ三姉妹の末っ子は
父を知らずに育ちます。
長姉・茶々(淀)
秀吉の側室となり、鶴松、秀頼を生んだことになっている茶々
父・浅井の主家である京極家に嫁ぎ
三姉妹中もっとも長寿を保ち
慕われ続けた次女・初、常高院
権力者たちの野望にさらされ
時代の波に翻弄されつつも、
多くの子宝に恵まれて、
天皇の祖母ともなったお江
その数奇な生涯と
来年多くの人が訪れるであろう
京都におけるお江の遺跡やゆかりの場所
について大変興味深い話を聞きました。
茶々によって建立され、お江によって再興された養源院。
このお寺にはお江の想いがいっぱい詰まっています。
養源院玄関。葵の御紋が目を惹きます。
養源院の襖絵。琳派の祖となった俵屋宗達の松図。
権力者の居室を飾った永徳とも探幽とも違う、
踊るような松に、お江の想いが重なります。
加えてあまり知られていない
三姉妹の次女初の養女となった古奈姫ゆかりの
三寶寺など、興味津々でした。
鳴滝の三寶寺は古奈姫ゆかりの古刹。
姫が寄進した淀殿・秀頼・国松丸の供養塔。意外な歴史に
驚きの連続です。
画像をふんだんに使って、とてもわかりやすいお話でした。
講師の話は京極竜子に醍醐の花見と
次から次へと展開し、春日局や篤姫まで
とても楽しく、来年の大河ドラマが待ち遠しくなりました。
現地案内 黒谷訪問
午後からは場所をお江ゆかりの
黒谷金戒光明寺にうつして現地案内です。
法然上人ゆかりの「白河禅房」の地を示す瓦
城壁のような石壁の説明を受けたのち
一行は禅宗建築の遺構を示す山門へ
珍しい扁額の意味を学びました。
浄土宗四ヶ本山の山門に「浄土真宗最初門」の後小松天皇扁額。
気づかずに通り過ぎるのはもったいなさ過ぎます。
天沼俊一教授による御影堂「大殿」。
最高の音響効果と、採光効果を備えた昭和の名建築です。
元の経堂がお骨を納めた骨大師に変わっていました。
堂内には法然ゆかりの二十五霊場のお砂が配され
お砂踏みができるようになっています。
本堂・阿弥陀堂の本尊と天井画。
源信最後の造仏で、「のみ納め如来」の名が。
大方丈前で説明を聞く参加者
当寺はかつての会津藩本陣あと。
本陣の名残を見せる建物です。
春日局によって寄進された極楽橋。もとは木橋。
今は新しくなっていますが、局のお江に寄せる思いが伝わります。
春日局によって建立されたお江の供養塔。
その巨大さと、塔の入り口を守る自分の塔
そしてお江の横にならぶお江が溺愛した
徳川忠長の供養塔の位置関係が
愛憎を超えた時の浄化を思わせます。
忠長の供養塔と並ぶお江の塔
お江と忠長親子の塔を守るように
二人の塔の入り口に建つ春日局供養塔。
法然上人の遺骨を納めた御廟。
黒谷を訪れる人の一体何人がこの御廟や
すぐ下の蓮池院(熊谷堂)をお参りするでしょうか。
本当に清遊の会ならではの案内です。
手前の五輪塔は敦盛の供養塔。
法然上人御廟内部。
お厨子の中に勢至菩薩像。
その下には上人の遺骨の上にたつ五輪塔が納められています。
塔頭西雲院境内
ここでは朝鮮通信使の話を聞きました。
この塔頭の初代住職宗巌師の話、
秀吉の蛮行の意味と通信使の使命……
圧巻の説明です。
この塔頭に法然の貴重な遺跡「紫雲石」
がある意味がわかりました。
上は中国人医師王けん南の墓。
琳派ゆかりの人物でもあります。
会津墓地入り口
会津藩が神道であることも初めて知りました。
お江の夫、二代将軍秀忠寄進の三重塔。
日本三文殊の一つ。
本尊の渡海文殊像は御影堂に安置。
三重塔からみる夕日。
西方浄土を願って、この夕日を見ながら行う「日想観」は
かつて大変な人気だったそう。
入日の中に浄土を観想する、擬似体験ながら
とても有意義な締めくくりでした。
このほかにも予定外に真如堂を訪れたり
黒谷墓地に眠るたくさんの有名人の
話を聞いたり、盛りだくさんの一日でした。
午前のおもしろ講座に続いて参加された方々も
午後からの現地講座のみ参加された方々も
本当にお疲れ様でした。
お楽しみいただけたでしょうか?
清遊の会は、来年以降もためになる講座や
現地案内を行ってまいります。
一人でも多くの方にご参加頂けますよう
心よりお待ち申し上げております。
皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さいませ。