立春を過ぎましたが、まだまだ寒さはきびしいですね。
皆さまにはいかがお過ごしでしょうか。
さきの節分は好天ともあいまってさまざまに賑やかでした。
前日の二日、千本閻魔堂引接寺(せんぼんえんまどういんじょうじ)へまいりました。節分には「えんま堂大念仏狂言」が行われることで知られています。
閻魔さん、いつ来てもいかめしく睨みをきかせてはります。
お詣りして、アツアツの「厄除けこんにゃく煮き」をいただきました。
閻魔さまは嘘をつくのを大罪とされ、嘘をつくと舌を抜かれるといいますね。このこんにゃくは舌の形をしています。
それに閻魔さまは裏表のないこんにゃくが大好物なのだそうです。
また、こんにゃくは「来ん、厄」とも「困、厄」とも。
境内の狂言堂には地蔵菩薩、開山の定覚上人、そして小野篁(おののたかむら)が祀られています。
紫式部の供養塔と傍らには普賢象桜も。
式部供養の石塔。小さなお地蔵さまがぐるりとめぐり、その上には薬師如来や弥勒菩薩の四座像。
普賢象桜。この桜は茎が長く垂れ下がり、普賢象菩薩の乗る象の鼻に似ているところからの名。
ことしも供養塔の横に、こんな普賢象桜のふっくらとした花が見られるでしょうか。
北大路堀川から少し南には式部と小野篁のお墓が隣り合ってあります。
そしてこの寺も式部の供養塔があり、篁像も祀られています。
その昔、小説を書くことは罪深いこととされ、「源氏物語」を書いたかどで地獄に落ちた式部を、小野篁が閻魔大王にとりなして救い、ゆえに二人は一緒に祀られているといいます。
そうそう、堀川の墓所の桜も見事でした。
三日の節分には寺町広小路の廬山寺(ろさんじ)へ。
天気もよく日曜日とも重なって境内は賑やか。「鬼おどり」は3時からのはずですが、ずいぶん前なのにたくさんの人です。
廬山寺は正しくは廬山天台講寺と称し、圓浄宗(えんじょうしゅう)の本山。
慈恵(じえ)大師良源(りょうげん)が船岡山南麓に開いた與願金剛院(よがんこんごういん)に始まります。廬山寺三世の明導照源(みょうどうしょうげん)上人により廬山寺に統合され、天正年間、秀吉によりこの地に移されました。
宮中の仏事を行う黒戸四ヶ院(くろどしかいん)の一つでもあります。
慈恵大師は比叡山延暦寺中興の祖で、正月三日に示寂されたので元三(がんざん)大師とも呼ばれ、角(つの)大師、豆(魔滅)大師、降魔(ごうま)大師などの別称でも知られます。
二本の角を持ち、骨と皮ばかりに痩せさらばえた鬼の像は魔除けの護符として、京都では家々の玄関に貼られているのをよく見かけます。
本堂の前ではすでに「鬼のお加持」が行われていました。松明と宝剣を持った鬼さんに、僧侶の真言とともに、身体の悪いところのお加持をしてもらうのです。
「どこが悪いの?」やさしく聞いてくれているよう。頼もしい鬼のお加持には長い列ができていました。
さて、お加持の鬼さんは退出。
善男善女が見守るなか─
いよいよ追儺式(ついなしき)鬼法楽、通称「鬼おどり」が始まります。
管長以下、僧侶方が入堂、着座され、護摩供養が始まりました。
鬼法楽は、元三大師良源が村上天皇の御代、三百日の護摩供を修せられたときに悪鬼が出現、邪魔をしようとした際に、護摩の法力と大師のもつ独鈷(とっこ)、三鈷(さんこ)の法器により降伏させたという故事によるのだそうです。
鬼が姿を現しました!
たくさんの人のなかからゆっくりやってきます。
赤、青、黒。3匹の鬼たちは法螺貝と太鼓の音にあわせ、足を踏み鳴らし、暴れながらやってきました。
本堂に入り、僧侶の護摩供養のまわりをぐるぐる踊り、暴れまわります。
赤鬼は松明と宝剣をもち煙とともに。青鬼は大斧を、黒鬼は大槌を、それぞれ振り上げ振り下ろし、時々カッと睨んで回ります!
堂内は松明の煙でもうもうとして、火の粉が飛び散ります。またその鬼の後を雑巾で拭いて回るのですから大変です。
ようやく鬼たちが外に出ると、追儺師(ついなし)が東西南北と中央に邪気払いの法弓を放ちました。
そして、蓬莱師はじめ参列の方々から蓬莱豆や福餅が撒かれ、その威力に負かされた鬼たちは退散するという次第。
豆撒きになると境内はもう人でぎっしり! 立錐の余地もないくらいです。
「鬼がにげます!」というアナウンスで境内はどっと笑いどよめきました。
節分は、明日から季節が変わるというその前日をいいます。
赤・青・黒の鬼は人間の善根を毒する三種の煩悩、貪欲・瞋恚(しんい…怒り)・愚痴を表し、鬼法楽は、この三毒を新しい歳の変わり目といわれる節分に追い払い、福寿増長を祈念、悪厄災難を払い、新しい年を迎える法会なのだそうです。
はじめての鬼法楽は、迫力満点でした。
蓬莱豆と福餅
さて、この廬山寺、かの紫式部の邸宅址で、もともとは式部の曾祖父藤原兼輔(かねすけ)の邸宅があったところとされています。
紫式部と娘の大貳三位の歌碑
式部はここで「源氏物語」を執筆していたとも伝わります。
それが今は廬山寺となって、節分に「鬼の法楽」が行われているんですね!
あの世の式部さんもさぞびっくりでしょう。先ほどの光景!…
お邸、大変なことになってますよ!
いえいえ、式部さんは涼しい顔で極楽浄土から毎年この節分会を見物しておられるのかもしれません(笑)。
千本閻魔堂も、ここ廬山寺も式部にゆかりの地で、偶然にも節分に訪れることになりました。
じつは紫式部は小学生の頃、偉人伝かなんぞの本で知って以来ずっと憧れの存在です。
百人一首を覚えてからは、必ず取らねば気がすまない札の十八番が紫式部。
「めぐ…」ときたら、「はいっ!」(笑)
お正月が来ると、式部やきれいなお姫様にまた会えるので、かるた遊びは子供ごころに楽しみでした。
今頃は「源氏物語」も、絵画資料がたくさん出版されていますから、源氏絵を楽しむことも容易になりました。
先日、和菓子司の塩芳軒(しおよしけん)さんで干菓子を求めました。
名前は「雪まろげ」。
「源氏物語」朝顔の帖に、雪が降り積もり、月明かりのもと、女童(めのわらわ)たちが雪玉を転ばして戯れ、その光景を光源氏と紫の上が眺めるシーンがあります。
「雪まろばし」とか「雪まろげ」という雪遊びであったようです。
土佐光起筆 「源氏物語画帖」より
そんな雪玉を想わせる雪のようなお菓子。上品な和三盆が口の中で溶けてゆきます。ずっと長くつくられてきたお菓子だそうですが、知らなかったのです。
他には「ふくべ、梅鶴(ばいかく)」が時候にかなうかも。
なんとはなしに風雅で、春の気分が浮き立つようで。梅鶴は梅風味。ふくべは黒砂糖入りの羊羹をすこし乾かしたような感触です。
どちらも手のひらにのる小箱を求めました。雪まろげも、ふくべも梅鶴も繊細な干菓子です。
塩芳軒さんは、風格あるのれんに気圧されて、入るのに勇気がいりましたが、一足お店に入るとそんな心配は吹っ飛びました。
秀吉の建てた聚楽第址近くにあり、「聚楽」饅頭も知られます。
式部といえば紫つながりでしょうか、式部のお墓の近くにある紫野源水さんにも「式部せんべい」がありました。
どうしてか、またお菓子のご紹介になってしまいました(笑)…。
寒い中にも楽しみを見つけて過ごすうち、じきに春。
辛抱して春待つ京の節分会。
エネルギーはもう町に充満しています。