秋の清遊散歩 「一条通り界隈」ご報告

929日(土)、台風17号が近づいていましたが、何とかお天気がもってくれますように…

堀川通今出川下ルの「西陣織会館」にて集合。西陣の由来は皆さまご存じのとおりです。

001 .jpeg

今日ご紹介するのは、ここが「村雲御所(むらくもごしょ)」と言われた「瑞龍寺」のあった地ということ。謀反の罪を着せられ高野山で自害した豊臣秀次の菩提を弔うため、母・智が建てた瑞龍寺がありました。
CIMG9827.jpeg

石碑と、村雲三和町という町名に村雲御所のゆかりをしのぶことができます。
近くの菓子司「愛信堂」さんに、昭和36年までこの地にあった瑞龍寺の写真がありましたので見せていただきました。瑞龍寺は現在、近江八幡市に移っています。
CIMG0236_R.jpeg
003.jpeg
 
村雲御所のゆかりを大切にされている愛信堂さんは明治24年創業。
甘味と酸味の出会い、「ハスカップきんとん」は京都と北海道の
出会いもんでもあります。ぜひ一度ご賞味ください!

さて、元誓願寺通りを西へ。大宮通りへ出ますと「千両ヶ辻」と言われたところ。江戸時代、西陣織が盛んだったころ、一日千両のお金が商いされたとか! 現在も創業二百七十年という老舗があります…。
「夷風」さんを見学。築百四十年という町屋を改装、見学できるように解放されています。
006_R.jpeg
ご主人の南さんは友禅作家で、お仕事中の座敷で町屋の建築やお庭についてお話し下さいました。

CIMG9906_R.jpeg

辺りに竹藪が多かったという笹屋町(ささやちょう)通りは細い道ながら、帯屋さんや、糸屋格子の町屋が残る静かな通り。
CIMG9304.jpeg

浄福寺通りを南に折れて浄福寺へ。浄福寺のお向かいもお寺。日蓮宗の慧光寺です。

CIMG9336.jpeg


浄福寺─
赤門で知られる浄福寺は浄土宗知恩院派の寺院。
CIMG9175.jpeg

天明の大火のおり、鞍馬山から天狗が飛来し、このクロガネモチの木に登って羽団扇(はうちわ)で火を返し延焼を防いだと伝わります。
CIMG9364_R.jpeg
CIMG9365_R.jpeg
護法堂の屋根瓦に「護」の文字、羽団扇の意匠も必見です!
P1080201.jpeg
CIMG9376.jpeg
CIMG9361.jpeg



火除け転じて民衆の信仰となったものとは? 火から護る…博打に手を出し火傷をしないように。境内の絵馬を見て納得です。
CIMG9369_R.jpeg

薬師堂には薬師如来像、日光・月光の両脇侍、二十八部衆、そして千体薬師像が安置されていました。篤い信仰の証しです。

CIMG9403_R.jpeg

幕末、寺は薩摩藩の藩屋敷のひとつとなりました。「浄福寺党」と呼ばれた藩士のつけた刀傷も書院の柱に残っています。

CIMG9408.jpeg
本堂は、江戸時代の「三間梁規制」に対して、外から見えると二棟の建物にしか見えませんが、内部はひと続きの広間につくられたもの。横からみると礼堂と本堂が合いの間でつながれているのがわかります。

CIMG9892_R.jpeg

CIMG9893_R.jpeg

CIMG9438_R.jpeg
                  本堂 正面
浄福寺の三世(四世とも)泰童和尚はその徳ゆえに民衆に慕われた方であったそうで、門前には今も泰童町という町名が残っています。
CIMG9896.jpeg


そして泰童さんが建立したという大超寺(だいちょうじ)がすぐ西側にありました。いまは岩倉に移転しましたが、大超寺はマキノ省三監督が「碁盤忠信」を撮ったところ。ロケーション映画発祥の地とも言われています。

浄福寺を後にし、一条通りを西へ。
七本松通りの交差点で無事、堤講師と合流できました! ここでバトンタッチです。フー、よかった…。

CIMG9931_R.jpeg
七本松の由来、下ノ森遊郭と傾城町の話。宮本武蔵と吉岡一門の決闘。出雲の阿国歌舞伎の発祥。市電北野線の話などなど、堤講師の話は尽きないのです。
CIMG9939_R.jpeg

CIMG9942_R.jpeg
「長五郎餅」の由来は天正年間。太閤秀吉に賞味されました。

CIMG9765_R.jpeg

          早くも「ぬらりひょん」が…


CIMG9951_R.jpeg

           本門佛立宗本山の宥清寺で。


お産の気(け)もなく安産できるという「気なし地蔵」の浄香庵、弘法大師生誕のゆかりを伝える「星見地蔵」の西雲寺は歯痛に効くお地蔵様…。
京都の通りは、歩けば歩くほどにたくさん由緒が詰まっています! 
そして大将軍八神社へ向かいます。 

妖怪たちも店先にでて歓迎してくれています…。
P1050676.jpeg


マイスターはおいしい!パン屋さん。食パンじじいが守っています。

CIMG9779_R.jpeg
こんな見張り番たちも。
CIMG9780.jpeg
大将軍八神社に着きました。

大将軍八神社─
平安遷都の折、桓武天皇の勅願により方位守護の神として、この地、つまり内裏の北西角に勧請され、以来篤く信仰されてきました。場所は創建時のまま変わっていません。

CIMG9200.jpeg


現在は素戔嗚命を主神として、その子五男三女の八神、聖武・桓武両天皇が祀られています。

方位方角について、また方徳殿の前では刀印など手の印相についての話を聴いてから中へ。

CIMG9963.jpeg


CIMG9968_R.jpeg


方徳殿内部には八十体の大将軍神像が、星曼陀羅様に安置されています。大将軍を示す衣冠束帯姿の神像、武装した神像。いずれも平安から鎌倉時代のもの。張りつめた空気が漂います。
大将軍とは方位を司る星神。正面に安置される神像は妙見像と同じです。
一体一体の神像には魂が宿っています…。


二階の展示室には陰陽道に関わる古天文暦学関係の資料がたくさんありました。

現在上映中の映画「天地明察」でおなじみ、渋川春海の製作になる「天球儀」もありました!

CIMG0292.jpeg

 映画もなかなか良かったですね!
CIMG9459.jpeg
境内のりっぱな春日燈籠 
創建にあたり、春日大社の大将軍神を勧請したゆえでしょうか。



大将軍社を出て、さらにキリシタン墓碑で知られる成願寺、そして五色散り椿の地蔵院前で解散となりました。

今日のルートには、今はもう跡もなく偲ぶこともできなくなってしまった藤原行成の建立した「世尊寺」や貞純親王の邸宅のあった「桃園の地」なども含まれていました。
町名に残された歴史をたどりながら、幾代もの時を行きつ戻りつ、お話しながらの「清遊散歩」。歴史のヴェールは何枚も何枚も積み重なっていることを実感した一日でした。

また、皆さまと楽しい「清遊散歩」ができれば、と思います。どうもありがとうございました!

CIMG9975_R.jpeg
                成願寺の酔芙蓉

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です