地蔵盆に

朝夕にすこし涼しさを感じるようになる頃、暦では処暑の頃にあたるでしょうか、地蔵盆がおこなわれます。

関西では広くおこなわれているようですが、最も盛んなのは京都かもしれません。京都ではポピュラーな夏の年中行事です。


地蔵盆は子供たちのためのお祭り。

地蔵盆は、地蔵菩薩の縁日(毎月24)の、お盆の期間である旧暦724日の前日(宵縁日)を中心とした三日間を言い、823日前後におこなわれるところが多いようです。

地蔵菩薩は自ら出向いて地獄の責め苦から人々を救ってくれる有難い仏さまですが、

親より先に亡くなった子供が賽の河原で苦しんでいるのを救うという伝説から中世以降、子供の守り神として信仰されるようになりました。

そして町内に祀られたお地蔵さまが祠から出て子供たちと過ごす?のが地蔵盆。

地蔵盆を「お地蔵さん」と呼び、昔はたいてい二日間おこなわれていました。

地蔵盆が近づくと、町内ではお地蔵さまを洗い清め、前垂れを着せ、お化粧を施して準備をします。
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子供の名前が書かれた提灯を飾り、大人たちは会場の設営にも大わらわとなります。

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当日はご詠歌の奉納や数珠回しの他に、おやつや福引き、金魚すくいなど楽しいプログラムが目白押し、お地蔵さんは子供たちの天国です。


子供の頃、地蔵盆はもう夏休みも残りわずかとなった、夏の最後の楽しみでした。

紫野の大徳寺の門前で育ちましたので、その地蔵盆の話を少し。


門前の町内では大徳寺の境内に地蔵盆が設けられていました。

この地蔵盆はちょっと他にはないような地蔵盆で、と言いますのは、当時、三門「金毛閣」の下が地蔵盆の会場となっていましたので。
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あの三門の下で、昼は数珠回しやスイカ割り、夜は六斎念仏に興じていました。

六斎念仏は「獅子と土蜘蛛」。蜘蛛の糸が投げられるのが見事でいつも見入っていました。

毎日お地蔵さんに入り浸り、ただもう遊ぶことに夢中の二日間。

三門の下で遊んでいたとはいま思うとなんと恐れ多いこと…。


そして大徳寺では現在も823日の夕刻に、山内の僧侶方や修行僧がお地蔵さまにお参りされます。

まず「千躰地蔵塚」に。
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列をつくり、読経しながら回り礼拝されます。

こんなに多くの僧侶方が揃われての行道は開山忌の時くらいしか見たことがありません。
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そしてつぎは、総門を入って正面の「平康頼之塔」の前に移動しての諷経
(ふぎん)

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平康頼とは、あの鹿ヶ谷の陰謀で鬼界が島に流された後白河上皇の寵臣。なぜそのお墓?がここにあるのかはさておき、よく見るとなかなか古びて趣のある仏さまです。

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そしていよいよ、いまは地蔵盆のお地蔵さまが祀られていますお茶所でのお経。

ここはいつもは大黒天が祀られているのですが、地蔵盆には脇にお地蔵さまがお祀りされます。

赤ん坊を抱いた彩色も美しいお地蔵さま。

ふだんは拝むことができません。この地蔵盆の時だけです。
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このお地蔵さまはもと托鉢の僧が背負っていたもので、いつしか門前の者がお世話するようになったとか。

慈愛に満ちたこのお姿も来年まで拝むことができません。
よく目に焼きつけておきたいと思います。

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お経が終わる頃、日はすっかり暮れていました。

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暗くなった境内で町内の人たちだけが見守る、静かな地蔵盆の行事。
もう夏の終わりの気配がただよっています。

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