秋の清遊散歩 「一条通り界隈」ご報告

929日(土)、台風17号が近づいていましたが、何とかお天気がもってくれますように…

堀川通今出川下ルの「西陣織会館」にて集合。西陣の由来は皆さまご存じのとおりです。

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今日ご紹介するのは、ここが「村雲御所(むらくもごしょ)」と言われた「瑞龍寺」のあった地ということ。謀反の罪を着せられ高野山で自害した豊臣秀次の菩提を弔うため、母・智が建てた瑞龍寺がありました。
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石碑と、村雲三和町という町名に村雲御所のゆかりをしのぶことができます。
近くの菓子司「愛信堂」さんに、昭和36年までこの地にあった瑞龍寺の写真がありましたので見せていただきました。瑞龍寺は現在、近江八幡市に移っています。
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村雲御所のゆかりを大切にされている愛信堂さんは明治24年創業。
甘味と酸味の出会い、「ハスカップきんとん」は京都と北海道の
出会いもんでもあります。ぜひ一度ご賞味ください!

さて、元誓願寺通りを西へ。大宮通りへ出ますと「千両ヶ辻」と言われたところ。江戸時代、西陣織が盛んだったころ、一日千両のお金が商いされたとか! 現在も創業二百七十年という老舗があります…。
「夷風」さんを見学。築百四十年という町屋を改装、見学できるように解放されています。
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ご主人の南さんは友禅作家で、お仕事中の座敷で町屋の建築やお庭についてお話し下さいました。

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辺りに竹藪が多かったという笹屋町(ささやちょう)通りは細い道ながら、帯屋さんや、糸屋格子の町屋が残る静かな通り。
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浄福寺通りを南に折れて浄福寺へ。浄福寺のお向かいもお寺。日蓮宗の慧光寺です。

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浄福寺─
赤門で知られる浄福寺は浄土宗知恩院派の寺院。
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天明の大火のおり、鞍馬山から天狗が飛来し、このクロガネモチの木に登って羽団扇(はうちわ)で火を返し延焼を防いだと伝わります。
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護法堂の屋根瓦に「護」の文字、羽団扇の意匠も必見です!
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火除け転じて民衆の信仰となったものとは? 火から護る…博打に手を出し火傷をしないように。境内の絵馬を見て納得です。
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薬師堂には薬師如来像、日光・月光の両脇侍、二十八部衆、そして千体薬師像が安置されていました。篤い信仰の証しです。

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幕末、寺は薩摩藩の藩屋敷のひとつとなりました。「浄福寺党」と呼ばれた藩士のつけた刀傷も書院の柱に残っています。

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本堂は、江戸時代の「三間梁規制」に対して、外から見えると二棟の建物にしか見えませんが、内部はひと続きの広間につくられたもの。横からみると礼堂と本堂が合いの間でつながれているのがわかります。

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                  本堂 正面
浄福寺の三世(四世とも)泰童和尚はその徳ゆえに民衆に慕われた方であったそうで、門前には今も泰童町という町名が残っています。
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そして泰童さんが建立したという大超寺(だいちょうじ)がすぐ西側にありました。いまは岩倉に移転しましたが、大超寺はマキノ省三監督が「碁盤忠信」を撮ったところ。ロケーション映画発祥の地とも言われています。

浄福寺を後にし、一条通りを西へ。
七本松通りの交差点で無事、堤講師と合流できました! ここでバトンタッチです。フー、よかった…。

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七本松の由来、下ノ森遊郭と傾城町の話。宮本武蔵と吉岡一門の決闘。出雲の阿国歌舞伎の発祥。市電北野線の話などなど、堤講師の話は尽きないのです。
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「長五郎餅」の由来は天正年間。太閤秀吉に賞味されました。

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          早くも「ぬらりひょん」が…


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           本門佛立宗本山の宥清寺で。


お産の気(け)もなく安産できるという「気なし地蔵」の浄香庵、弘法大師生誕のゆかりを伝える「星見地蔵」の西雲寺は歯痛に効くお地蔵様…。
京都の通りは、歩けば歩くほどにたくさん由緒が詰まっています! 
そして大将軍八神社へ向かいます。 

妖怪たちも店先にでて歓迎してくれています…。
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マイスターはおいしい!パン屋さん。食パンじじいが守っています。

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こんな見張り番たちも。
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大将軍八神社に着きました。

大将軍八神社─
平安遷都の折、桓武天皇の勅願により方位守護の神として、この地、つまり内裏の北西角に勧請され、以来篤く信仰されてきました。場所は創建時のまま変わっていません。

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現在は素戔嗚命を主神として、その子五男三女の八神、聖武・桓武両天皇が祀られています。

方位方角について、また方徳殿の前では刀印など手の印相についての話を聴いてから中へ。

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方徳殿内部には八十体の大将軍神像が、星曼陀羅様に安置されています。大将軍を示す衣冠束帯姿の神像、武装した神像。いずれも平安から鎌倉時代のもの。張りつめた空気が漂います。
大将軍とは方位を司る星神。正面に安置される神像は妙見像と同じです。
一体一体の神像には魂が宿っています…。


二階の展示室には陰陽道に関わる古天文暦学関係の資料がたくさんありました。

現在上映中の映画「天地明察」でおなじみ、渋川春海の製作になる「天球儀」もありました!

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 映画もなかなか良かったですね!
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境内のりっぱな春日燈籠 
創建にあたり、春日大社の大将軍神を勧請したゆえでしょうか。



大将軍社を出て、さらにキリシタン墓碑で知られる成願寺、そして五色散り椿の地蔵院前で解散となりました。

今日のルートには、今はもう跡もなく偲ぶこともできなくなってしまった藤原行成の建立した「世尊寺」や貞純親王の邸宅のあった「桃園の地」なども含まれていました。
町名に残された歴史をたどりながら、幾代もの時を行きつ戻りつ、お話しながらの「清遊散歩」。歴史のヴェールは何枚も何枚も積み重なっていることを実感した一日でした。

また、皆さまと楽しい「清遊散歩」ができれば、と思います。どうもありがとうございました!

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                成願寺の酔芙蓉

清遊ブログ  古事記の切手 木華開耶媛からはじまる…

秋涼の候。 朝夕は涼しくとも日中のきびしい残暑には参ってしまいますね。
夏から秋への移りかわりはまだまだ行きつ戻りつしているよう。
そんな時季、芙蓉がふんわり花を咲かせています。
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先日切手を買いに郵便局に行ったときのこと。

「古事記編纂1300年」の記念切手が発売されているのを初めて知りました。
7月に発売されていたというのに。

 


ごらんください。
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上の二点は「木華開耶媛(コノハナサクヤヒメ)」、そして「火退(ほそけ)」。
明治から昭和にかけて京都画壇で活躍した堂本印象(どうもといんしょう)の画。

 

そして下の二点は「伝 素戔嗚尊(スサノオノミコト)」「伝 稲田姫命(イナダヒメノミコト)」。
島根の八重垣神社本殿の板戸絵に描かれた神像です。
まず
木華開耶媛(木花開耶姫)─

木華開耶媛はオオヤマツミの娘。桜の花にたとえられるように美しさとはかなさを象徴する姫神。


この姿を見てもおおどかな美しさが表れています。

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アマテラスオオミカミの孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)と結ばれ、ホデリノミコト、ホオリノミコト(山幸彦)、ホスセリノミコト(海幸彦・ホデリを海幸とする説もあります)など三神を生んだとされます。
ホオリノミコトの子がウガヤフキアへズノミコト。その子がカムヤマトイワレヒコノミコト、すなわち神武天皇。木華開耶媛は神武天皇へとつながる皇室の祖先神です!

富士山のご神体としても崇敬され、各地の浅間(せんげん)神社の総本宮である富士本宮浅間大社にお祀りされているのがこの神様。

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木華開耶媛と瓊瓊杵尊の出会いは九州、薩摩半島の笠沙(かささ)。

木華開耶媛は「古事記」ではその名を神阿多都比売(カムアタツヒメ)。この「アタ」から九州、隼人族の阿多隼人の居たところと知れます。


薩摩半島と大隅半島に囲まれたあの「桜島」が、木華開耶媛をあらわす「桜」に由来するという説もあるのです。 なるほど!

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天皇と富士山と桜……。これってもしかしたら日本そのものじゃ?? 
木華開耶媛のことは、じつは知れば知るほど惹きつけられてゆく、ものすごい歴史の深みがあるのですが、今日はこの阿多の出身ということまでにとどめておくことにして―。

おおらかで美しい「木華開耶媛」は堂本印象美術館の所蔵です。
堂本印象について─
京都に生まれ、大学卒業後しばらく西陣織の図案を描いたのちに日本画を志して京都市立絵画専門学校に入学、戦後は社会風俗画の名手として知られ、画塾東丘社を主宰しましたが、六十歳を過ぎてから突然抽象画の世界に遊び、その華麗な転身は人を驚かせました。
しかし晩年に至って仏画に還り、数々の見事な神話や仏の世界を描き上げました。


堂本印象美術館は、印象自らが建築のデザインを手がけた美術館です。内部の装飾や置かれた椅子までも印象のデザインになるものが多く見られます。

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昭和41年に衣笠の地に建てられた当時、その斬新な建築はたいへんな注目を集めました。


いまは衣笠山を望むロケーションにぴったり溶け込んでいます。

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静かに印象の作品を鑑賞するのに素晴らしい環境ですから、いつか清遊の会で皆さまをご案内したいと思います。
ぜひ「木華開耶媛」が展示される折りに見に行きたいですね! おおらかな美しさにきっと圧倒されることでしょう。
おおらかといえば、先日東京に参りましたときに、浅草寺に行きました。
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浅草寺本堂外陣の天井画が印象筆でした!
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天井中央が川端龍子(かわばたりゅうし)の「龍之図」。その左右に印象の「天人之図」。
首が痛くなるほど見上げてその華やかさに見とれました。昭和31年の作だそうです。

包み込んでくれるような鮮やかな色彩の天人の姿は「木華開耶媛」に通じるように感じます。

 


浅草寺の境内からはスカイツリーが見えましたので日本の新しいシンボルとして、スカイツリーもこのブログに仲間入りさせておきましょう(笑)。

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下の二点は、スカイツリーに上って撮られた写真“スカイツリーと富士山と夕日”
A Tさんが投稿してくださいました。 壮観ですね!
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火退(ほそけ)は景行天皇の御子、ヤマトタケルノミコト(倭建命)を描いたもの。
宮内庁三の丸尚蔵館の所蔵。

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ヤマトタケルノミコトは、父の命令で九州の熊襲を滅ぼしたのち、休む間もなく再び東国に遠征します。
その途中、焼津を訪れた際に、土地の豪族にだまされて野原に誘い出され周りから火を着けられます。困ったときに開けるよう叔母のヤマトヒメからもらった袋を開け、入っていた火打石を使い、とっさの判断で周囲の草をなぎ払い、「向かい火」を着けて難を逃れたと伝えられています。
その時に用いた剣が有名な草薙剣(くさなぎのつるぎ)なのでした。

雄々しい姿。日本神話の英雄ですね! 生き生きした姿で描かれています。

このヤマトタケルノミコトの子が仲哀天皇なのですね。奥さんは神功皇后。子は応神天皇。頭の中で神様がだんだんつながってきました。

 

そして「伝素戔嗚尊(すさのをのみこと)」「伝稲田姫命(いなだひめのみこと)」。
先日、京都国立博物館の「大出雲展」でお目にかかったばかりです。

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板戸絵にこんなに彩色が残っているなんてびっくりでした。室町時代と伝わり、この二神を描いたものとしては最古と言われているそうです。

切手でまた再会できたなんて…感激です!

頬にさした紅がなんともいえずいいですね。心なしかラブラブな感じが垣間見えたりして。

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大出雲展では古代の出雲大社復元模型が展示されていました。
階段の上方に点のような人形がみえるでしょうか。 巨大な神殿。
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出雲大社境内から出土の宇豆柱(うづばしら)。3本一組で神殿の1本の柱であったもの。
ガラスに神殿の階段が写ってしまって、見づらくてすみません。


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約1か月半にわたり開催された「大出雲展」。
10月からは東京国立博物館で「出雲展」が開催されます。

こちらは観覧料一般800円。京博では1300円だったのですよ!

大出雲展を見る幾日か前には、京都造形芸大の春秋座にて「隠岐(おき)神楽と石見(いわみ)神楽」を見る機会がありました。

石見神楽「八岐大蛇(やまたのおろち)」はスサノヲによる大蛇退治の話です。

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足名椎(あしなづち)と手名椎(てなづち)、そしてその娘の稲田姫を救うため、スサノヲは激闘の末、大蛇を討ち果たします。スサノヲが一頭一頭斬りかかり倒すわ、大蛇は火炎を吐くし、もう大迫力!

石見神楽の大蛇は、蛇腹ならぬ「蛇胴(じゃどう)」と呼ばれる、竹の輪に石州半紙を貼って作られるもの。この伸縮自在の「蛇胴」を巧みに繰って大蛇がとぐろを巻き、動きまわるのが最大の魅力です。
スサノヲが最後の一頭を無事倒し、大蛇の尾から得たのが天の叢雲の剣(あめのむらくものつるぎ)。
そして二人は目出度く結ばれます。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣つくる その八重垣を」

あこがれの出雲! この舞台となったかの地をぜひ訪れてみたい…。

記念切手を掌中にして出雲熱は再びよみがえってしまったのです。


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        季節はちがえど、やはり桜は日本人の心のふるさと。