天神通散策 ご報告

1月15日、17日の初詣散策「天神通を歩く」は終了しました。
ご参加の皆さま、ありがとうございました。
写真でご報告とさせていただきます。


北野天満宮 白梅紅梅ともに咲き始めています。
鳥居の向こう、一之保神社からスタート。

今日は、菅原道真公をお祀りしてきた西京(にしのきょう)の地域を歩きます。

一の鳥居と大狛犬は迫力満点。


台座の梅の絵は竹内栖鳳の筆だそうです。

大将軍八神社へ向かいます。

平安遷都にあたり、都の方位守護の神様として勧請されました。

成願寺
三之保社「長宝寺」の歴史を伝える「長宝堂」


天神通に入り、選佛寺へ。

紀貫之の娘・紀内侍(きのないし)ゆかりの鶯宿梅の伝承があると教えていただきました。
諸説あるそうですが、なにより清々しいお庭のたたずまいが印象的でした。

奥溪家住宅(京都市指定建造物)

東福門院の御典医をつとめたお家の下屋敷。

いよいよ今日のテーマの安楽寺天満宮へ。



天神さまをお祀りしてきた西京神人(にしのきょうじにん)の人々、千年の歴史が見えてきます。

瑞饋神輿保存会 集会所

秋のずいきまつりの神輿がここでつくられます。

弘誓寺(ぐぜいじ) こちらに参らせていただいたことは貴重な経験でした。

法輪寺(だるま寺)へ



干支が替わると回転するのだと思っていたら、回りません、とのことでした。

お庭は「無尽庭」 十牛の庭とも呼ばれます。

だるまさんはあまりにも多すぎてびっくり、ここで終了となりました。
お越しくださった皆さま、たいへんお疲れ様でした <(_ _)>

なお、京都・清遊の会では、日程などのご都合で散策にご参加できなかった方、歩いてみたいという方、二名様から個人様向けのご案内をいたします。昨年より実施しました今回の散策までのなかで、ご希望のコースとご希望の日にち等をお問い合わせください。
あらためてHPにページを設けます。
皆さまのお越しをお待ちしております !

 

 

 

 

秋の散策 Ⅱ 寺之内界隈の寺院 ご報告

11月19日、22日の両日は、ともに天候に恵まれ、深まりゆく秋の散策となりました。
尼門跡寺院の大聖寺(だいしょうじ)からスタートしました。


「花の御所」の碑。室町三代将軍義満の邸宅があったところ。邸内にあった岡松殿が、いまは大聖寺という尼門跡寺院となっています。(非公開)
尼門跡は皇女や公家、将軍家の息女が入寺した寺院。御所の文化をいまも伝える寺院です。
向こうに見える屋根の同志社大学寒梅館と、こちらの大聖寺辺りがその「花の御所」跡。



校内に室町時代の石敷の遺構も残されています。

この界隈には尼門跡が多く、同じく室町時代に創建の光照院(持明院跡)にも立ち寄り、寺之内通に入りました。


妙顕寺の塔頭・泉妙院。
美術史上、たぐいまれな芸術家兄弟の光琳、乾山を輩出した尾形家の菩提寺。

妙顕寺に着きました。




妙顕寺(みょうけんじ)──

京都における日蓮宗最初の寺院。大本山。
日蓮宗の宗祖・日蓮上人(1222~1282)の孫弟子にあたる日像(にちぞう)上人が開いたお寺。1321年の開創で、700年を迎えたことになります。
日像が龍華樹院(りゅうげじゅいん)と号したため、寺は「龍華」の名でも呼ばれてきました。


本堂に掲げられる「十界曼荼羅」の額。
中央に「南無妙法蓮華経」のお題目が書かれ、ひげのように見えるところから「ひげ題目」とも呼ばれます。周囲には諸尊の名が書かれます。

「三菩薩堂」
1358年、大旱魃の年、妙顕寺二世の大覚が、雨乞いの祈祷で龍神を呼び雨を降らせた功績により、時の天皇から、大覚から遡って、日蓮、日朗、日像に菩薩号を、大覚に大僧正の号が贈られたといいます。

「勅賜三菩薩」の額

本堂に参拝し、「鬼子母神堂」へ。

鬼子母神は、もともとインドの神さま。
多くの子供を持っておりましたが、巷に出ては人間の子供をさらい、食べて、命を奪っていました。そこでお釈迦様がこの悪事を憂いて鬼子母神の子を隠されました。鬼子母神は自分の子がいなくなった悲しみに、今まで犯してきた自分の罪に気づき、お釈迦様に帰依し法華経の行者を守ることを誓ったそうです。
鬼子母神はそれからは柘榴を食べるようになったといいます。
現在では安産・子育ての神様となって祀られています。

鬼子母神が悔い改めたゆえに、鬼の角が取れたという謂れもあります。
散策日は堂内にいて提灯の文字が見えなかったのですが、後日、お庭から見ますと、「鬼」の字に角はありませんでした。


鬼子母善神。鬼が善神になったのですねー。
お堂の前、柘榴の木と教えていただきました。

はらはらと落葉が散る渡り廊下から、紅葉の美しい「四海唱導」の庭へ。


そして「孟宗竹の坪庭」

「光琳曲水の庭」

丸窓から眺めるとまた趣が変わります。

向こうには樹齢400年の赤松。りっぱでしたね。

書院をはさんでつながる「抱一曲水の庭」

水琴窟の音色を聴いたり…
四つのお庭を堪能しました。

次に妙覚寺へ。

妙覚寺──
妙顕寺と同じ日蓮宗の寺院。今日訪ねる三つの寺院はみな日蓮宗です。
妙覚寺は美濃国の戦国大名・斎藤道三とも関係が深いお寺。道三の四男は当寺十九世の日饒(にちじょう)
道三の娘・濃姫(帰蝶)が織田信長に嫁していたことなどからも、信長は本能寺とともに妙覚寺をよく宿所としました。当時の妙覚寺の場所はここではありませんが、本能寺の変の際には、信長の嫡男・信忠が妙覚寺に滞在しており、本能寺の信長、信忠ともに自刃した話は有名です。

歴史のお話より、とにかくこちらのお庭「法姿園」(ほっしえん)の紅葉は絶品です。


紅葉と杉苔だけのお庭。廊下におかれた机に映して眺める「机紅葉」!(^^)!

そしてお庭の奥には大切な場所が。

「華芳宝塔」(かほうほうとう)
日蓮が比叡山で学んでいた時代に書写した法華経が納められている石塔。
信長の叡山焼き討ち(1571)を逃れて今日ここに伝わっています。

さらに見どころ満載の妙覚寺。

どこからも眺めてみる価値あり、です。

額縁の松がここからも見られます。

時間があっという間に経ちます。
日が暮れてしまわないうちに本法寺へ。

本法寺──
本阿弥光悦や長谷川等伯ゆかりの寺。
本阿弥家は光悦の曽祖父が、この寺を開いた日親上人に出会い、信者となって以来、菩提寺として本法寺を支えてきたといいます。
等伯の「涅槃図」は京都三大涅槃図のひとつ、涅槃会の時期に掛けられます。

下は「十(つなし)の庭」

光悦の作庭と伝わる「巴の庭」へ。

経年によりわかりづらくなってはいますが、巴の形の築山が三か所あり、「三巴の庭」と呼ばれています。侘びたたたずまいのお庭でした。



庭の中、手前の円形の石が「日」を、向こうの十角形の蓮池が「蓮」を表わします。(10月撮影)


見学も終わりに近づき、縁側でくつろぎのひととき。

本法寺を後に、堀川通の慈受院でごあいさつ、解散とさせていただきました。
長時間の散策、お疲れ様でした。
またの機会、お越しくださいますようお待ちしております <(_ _)>