清遊ブログ  丹後の海へ

猛暑きびしい夏でしたが、皆様にはいかがお過ごしでしょうか。

また度重なる台風の被害に心よりお見舞いを申し上げます。

先日、丹後半島をめぐりました。

さきごろ開通した京都縦貫自動車道で市内から1時間余り、与謝(よさ)天橋立ICに着きます。

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丹後王国の歴史を秘め、また浦島太郎、鬼退治、羽衣天女といった伝説の舞台である丹後。

その丹後への思いがつのり、ようやくやってきました。

今回は天橋立、籠(この)神社のある宮津を通り越し、まずは舟屋(ふなや)で知られる伊根町へ。

雲がかかり、ときおり小雨が降っています。

これですね、まさに見たかった舟屋!

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伊根湾めぐりの遊覧船「かもめ号」が出航です。

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それまで水面に浮いていたカモメたちもお供に加わり…

頭上を、前方を、飛び交う、飛び交う! 大騒ぎ(笑)

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それでもめげず一番先頭に立ち、眺めを楽しみました。

海面にせり出して建ち並ぶ舟屋群はミニチュアの家のよう。

海と山の景色に溶け込んでいます

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一階は船の揚場や作業場に使われ、二階は居室ですが、以前は二階屋ではなく平屋が多かったそうです。

切妻造の妻面を海に向けて建てられた典型的な「妻入り」の家屋がほとんどで、2000年現在で238戸、現在も230戸あまりの舟屋が残されています。

想像していたよりたくさんの舟屋がありました。

2005年には「漁村」で唯一、国の伝統的建造物群保存地区に指定され、2006年には「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財百選」、2008年には「日本で最も美しい村」にも選ばれました。

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舟屋から海を眺めている人。舟屋の前で釣りをする子供たち。舟で漁をする人。

自然のなかに暮らしがある、素朴でつつましやかな日本の原風景。

山の中腹に見える社殿は八坂神社で、お祭りは海の祇園祭と呼ばれるのだとか。

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陸に上がって道沿いから見る舟屋の家々もまた静かな風景です。

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お昼は伊根の夏の名産、岩ガキやサザエに舌鼓を打ちました(笑)

浦嶋神社へ─

誰もが知っているあの「浦島太郎」のお話の舞台。

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浦嶋神社、別名宇良(うら)神社のあるここ本庄はかつて浦嶋太郎が住んでいたとされる場所で、宇良神社のご祭神は浦嶋太郎その人なのです。

「日本書紀」の雄略紀、雄略天皇二十二年の条─

「秋七月に。丹波国余社郡(よざのこほり)の管川(つつかは)の人瑞江浦嶋子(みずのえのうらしまのこ)、舟に乗りて釣(つり)す。遂に大亀を得たり。便(たちまち)に女に化為(な)る。是に、浦嶋子、感(たけ)りて婦(め)にす。相逐(あひしたが)ひてて海に入る。蓬莱山(とこよのくに)に到りて、仙家(ひじり)を歴(めぐ)り観る」

宇良神社所蔵の「浦嶋明神縁起」絵巻は南北朝時代とされていますが、「丹後国風土記」逸文にはこの物語の片鱗が伺えます。

「筒川の嶋子は別名を水の江の浦嶼子(しまこ)といい、姿麗しく、風流なること類なかった。ある日、彼は一人小舟に乗って海に出たが、三日三晩経っても一つの魚も得ることが出来ず、その代わり五色の亀を得た。亀は美しい女人になり、貴方と夫婦になりたい、といって自分の家に案内した。それは海中の大きな島にある実に立派な御殿で、二人が家に到ると、亀姫の父母が出迎え、二人は夫婦になった。

 ところが三年経って嶼子は故郷へ帰りたくなった。亀姫は止めたが、嶼子は聞かない。それで玉手箱を授けてどんなことがあってもこの箱を開けてはならない。といった。故郷に帰った嶼子は、人や物も全く変化して「水の江の浦嶼子の家族はどこにいるか」と聞いても、「嶼子は三百年前の人である」という。それで嶼子は寂しくなって、約束を破って玉手箱を開けたところ、嶼子の若々しい姿が風に乗って天に飛んでいった。老人となってしまった嶼子は涙にむせんだ。

 (梅原猛『京都発見4 丹後の鬼・カモの神』より)

と、このような話が伝わっています。

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釣った亀は美しい女人になり…

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海中の御殿に住み、夫婦となった二人でしたが…

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故郷に帰って玉手箱を開けたら…

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中世以降、御伽草子などに書かれたように物語もさらなる変貌を遂げました。

小さいころに聞かされた話は、子供が亀をもてあそび、あるいは虐めていたのを、浦島太郎が助けて逃がし、亀はその御礼に太郎を竜宮城に連れて行ったという話でした。

浦嶋神社のお社。下は拝殿。

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前に立つとあまりの立派さに息をのむほどです!

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見事な龍の彫り物。扁額には「宇良神社」とあり割拝殿になっています。

割拝殿とは、異なる系統の神様が祀られていると教わりました。

祀られる神様は浦嶋子(浦島太郎)そして、相殿には月読命(つくよみのみこと)、祓戸大神(はらえどのおおかみ)。

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拝殿は権現造、本殿(下)は茅葺の神明造です。

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古色蒼然とした社。誰もが知っているおとぎ話を生んだ舞台は、誰にも知られたくないかのようにひっそりと丹後の景色に溶け込み、なお不思議な存在感をもっていました。

さらに海岸沿いを走ります。切り立った崖に打ち寄せる波は絵巻に描かれた波のよう。

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経ヶ岬を回り、西へ。

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田んぼでは頭を垂れた黄金色の稲穂がゆれ、海と空が続きます。看板ひとつない道。いつのまにか青空もでてきました。

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丹後松島の風景です。

日本三景の松島に似るところからの名で、幾重にも重なる島々の眺望が見晴らせます。

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竹野(たかの)神社─

ここには鬼退治と七仏薬師の伝説が伝わります。

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参道を通り抜けると立派な向唐門(むかいからもん)。「斎宮(いつきのみや)神社」とあります。

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下の写真は拝殿。

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そして奥に、荘厳された本殿と摂社の斎宮神社。

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本殿の彫り物は雄鶏と雌鶏でしょうか、めずらしいですね。

鶏は「鬨(とき)の声」も表わし、この神社の勇壮な一面も伝えています。

竹野神社本殿のご祭神は天照大神。竹野媛が老いてのちここに祀ったとされています。

摂社の斎宮神社はこれまた虹梁(こうりょう)や木鼻の精巧な彫り物。扉は栗鼠に葡萄の図柄。「武道に律する」という語呂合わせから特に好まれた図柄ですね。

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斎宮神社のご祭神は第9代開化天皇の皇子である日子坐王命(ひこいますのみこのみこと)、建豊波豆良和気命(たけとよはづらわけのみこと)、そして竹野媛命(たかのひめのみこと)の三神。

竹野媛は開化天皇に嫁いだ垂仁天皇の4人の娘のうちの一人。ところが美しくなかったために竹野媛だけが返され、悲しみのうちにみずから淵に落ちて亡くなりました。その地を堕国(おちくに)といい、弟国(おとくに)となまり、のちに今の「乙訓」の字があてられたということです。

そして時代は下りますが、第31代用明天皇の皇子で聖徳太子の異母弟、麻呂子(まろこ)親王も祀られています。

鬼退治には時代が異なる三つの伝説があります。

第一次の鬼退治の皇子は日子坐王。

そして第二次の鬼退治が麻呂子親王。この地に伝わる「竹野神社系縁起」によれば、大江山から英古(えいこ)、軽足(かるあし)、土車(つちぐるま)の三匹の鬼が逃げてきて、ここで麻呂子親王に追い詰められ海岸端で二匹の鬼は殺され、一匹の鬼は立岩(たていわ)というところに閉じ込められたというのです。

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鬼たちはユーモラスに描かれていますが…

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下は土車が封じ込められたという「立岩」。いかにも恐ろしげに屹立しています。

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鬼とはどういう者たちなのでしょうか、里を追われた山人とも、土着の民とも言われますが、そうであったなら麻呂子親王との戦いは壮絶な戦いであったでしょう。

第三の鬼は平安時代のあの有名な大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)です。退治したのは源頼光に率いられた四天王でした。

そしてここ間人(たいざ)には、用明天皇の后であった穴穂部間人皇后(あなほべのはしひとのひめみこ)と聖徳太子の母子像が立っています。とても大きな像です。

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蘇我氏と物部氏の戦乱からこの地に逃れ、乱がおさまった後、還幸にあたり里人へ感謝の念を込め自らの名「間人」を贈りましたが、里人たちは皇后の御名を地名にするのは畏れ多いとして、御退座にちなみ、「間人」と書いて「たいざ」と訓み伝えたといわれています。

 

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ようやく今日の最終地・夕日ヶ浦に着きました。

日が暮れるまでに、と焦りましたが、なんとか間に合いました。

広い海。静かな海。

砂浜は大きく美しく弧を描いて、打ち寄せる波がさらう繰り返し。眺めて飽きることがありません。

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いまは雲で覆われています。

日没間近にふたたび海岸へ。

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水平線に夕陽が落ちていきます。

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心に染みるような日没。

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疲れた心と体を癒してくれる自然の懐。

今も昔と変わらない風景であろう丹後の海。

その風景は数多の伝説を秘めるがゆえに、いっそう美しく感じられたのかもしれません。

清遊ブログ  水無月の茶会 弘道館にて

梅雨入りして初めての日曜日、上京区にある弘道館のお茶会にうかがいました。

弘道館は、江戸時代、儒者・皆川淇園(みながわきえんが開いた学問所。

現在は茶会や講座など幅広い文化活動が行われています。

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その日は晴れて茶会日和になりました。

上長者町通新町を東へ。石碑に「皆川淇園弘道館址」とあります。

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門を潜って玄関までのアプローチ。

木々の緑や青苔に目をとめながら奥へ。

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「有斐斎」(ゆうひさい)は淇園の号のひとつ。

中門をくぐり、さらに奥へ。期待が高まります。

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玄関で受付けをすませ、待合(まちあい)に通されました。

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床は利休の孫、宗旦とお見受けしました。

煙草盆には涼しげな蛍籠。

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驚いたのは床の外、脇に冠(かんむり)が掛かっていたこと! 

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席入りの案内がありました。

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本席に入りすぐの床には流鏑馬(やぶさめ)のりっぱな馬が描かれた双幅。

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前には、なんと可愛らしい、斎王代が禊をされているお人形。

つい先だってのお祭を思い出します。

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床を拝見。

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掛物は「清流無間断」(せいりゅうかんだんなし)

大徳寺三玄院玄性和尚筆一行。

水色の交趾花入に山芍薬が生けられて爽やかです。

団扇香合は「曳き舟」の画。清々しい木地に描かれた人物がほほえましい。

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今日は「水」にちなんだ趣向のようです。

つづいて点前座を拝見。

なんと、注連飾(しめかざり)をした木地の釣瓶(つるべ)水指が置かれています。

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釜は中ほどが霰文の鶴首釜、風炉は織部。模様は芦の画だそうです。

杉の風炉先は笹の透かしでしょうか、清涼感をいっそう引き立てる役も担って。

皆が着座し、お点前が始まりました。

ご亭主が挨拶に出られ、今日の趣向を伺います。

釣瓶水指に注連飾りを施して茶を点てる点前を「名水点て」といい、濃茶の点前ですが、今日は薄茶で名水点てをしていただけるとのこと。

注連飾りは水に対する畏敬の念ゆえの飾り。気持ちもぐんと引き締まります。

今日点てられる名水は、はてどこのお水かしらんと想像するのも楽しいものですが…

下鴨神社の境外摂社、賀茂波爾(かもはに)神社のご神水でした。

賀茂波爾神社といえば、「赤の宮」ともいい、葵祭にもゆかりの神社。

御蔭祭(みかげまつり)の折、路次祭が行われ、「還城楽」(げんじょうらく)の舞楽が奉納されるところです。

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    賀茂波爾神社(京都市左京区高野)

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そういえば、お水を汲みに来る方が絶えなかったのを思い出しました。

さらにご亭主より、今日は名水点てとともに夏越(なごし)の祓もあわせてのつもりで、とのこと。なるほど、水無月の祓、夏越の祓、嬉しいですね。

夏越の祓は一年のちょうど折り返しにあたる六月晦日に半年の罪や穢れを祓い、残り半年の無病息災を祈願する神事。

神社で茅の輪をくぐり、お参りされる方も多いのではないでしょうか。

大勢が気楽に参会できる茶会に、格調高い名水点てで禊(みそぎ)の気分を取り入れてくださいました。

客をもてなすため自在に茶会を組み立てられた、まさにご亭主の心の働きです。

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たっぷりと点てられた一服をおいしくいただきました。

名水のお水もいただきました。まろやかなお水でした。

お菓子は老松製で「氷室」。白餡に紅色の三角形の羊羹をのせた葛饅頭。

氷室とは、冬季の氷を夏まで貯蔵しておく室のこと。平安時代、六月朔日は「氷室の節会」(せちえ)が行われ、氷室から氷を切り出し宮中に献上したそうです。

 

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「氷室」は裏千家八代一燈(いっとう)宗室の好み。

 葛の透明感は目にも涼しく、ギヤマンの器に盛られたさまはすばらしかったです。

 涼やかな干菓子「青苔」(せいたい)は同家十四代無限斎夫人・清香院好み。

棗は河太郎棗(かわたろうなつめ)。蓋の甲がくぼんでいるのが見えるでしょうか、河太郎は河童。河童のお皿ですね(笑)

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茶杓は銘「瀬織津姫」。瀬織津姫は川や水の祓の女神。今日のテーマにぴったりです。

御手洗祭でおなじみの下鴨神社の井上社のご祭神であり、来月にせまった祇園祭の鈴鹿山のご神体でもあります。ご神体のお前立ちは気品のある、まさに美の女神のお姿。

なごやかな席のあと、お道具やしつらいをもう一度拝見しました。

客座の後ろには皆川淇園筆の屏風が立てられておりました。

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皆川淇園17341807は「開物学」という独自の学問を打ち立てた人物ですが、詩文や書画にも優れ、円山応挙、与謝蕪村、長沢蘆雪ら多くの文化人との交流が知られています。

弘道館は淇園が晩年に開いた私塾で、門弟は三千人であったとか。

その淇園の迫力ある画と書にしばし見入っていました。

茶席のあとお庭も堪能しました。ごらんください。

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今回は新緑清々しい弘道館にて、水無月の茶会をご紹介しました。

賀茂の祭から祇園祭へ向かう橋渡しのような京の水無月。

春から夏へ季節はつながり、茶席にはこの町ならではの趣向がちりばめられておりました。

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