京都・清遊の会 活動報告 五月 その2

京都・世界遺産現地案内


比叡山延暦寺 横川


快晴の五月四日、堤講師の案内でかねてより愉しみにしていた比叡山延暦寺を訪ねました。今回の目的は横川と西塔です。

 京都駅に集合し、バスにてお山を目指しましたが、大型連休の真っ最中、バスは超満員で座れない方も出てしまいました。たいへん申し訳なかったと反省しきりです。
しかし大型連休の観光地の恐ろしさを本当に知るのはこの後なのでした。

 小一時間ほどで延暦寺バスセンター(東塔)に到着、すぐに連絡したシャトルバスで横川へ。横川は東塔からもっとも離れたエリアで、円仁によって開かれ、元三大師良源によって発展しました。ここは道元、また日蓮が修行を行い、新仏教を開教する契機となった地としても有名です。
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横川の入り口で説明を聞きます。期待大!

 一同はまず、龍ヶ池弁才天にて良源の怪異譚を聞き、前にある如法水で良源の弟子、恵心僧都源信が慶滋保胤らとともに行った如法写経の話を聞きました。
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良源が法力で鎮めた大蛇を祀る龍ヶ池弁才天にて
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写真下に写る木屋根の中が如法水です。

 道行く人々は、壊れかけた木枠の前でいったい何を話してるのだろう、と不審気に眺めていきます。堤講師の説明は、いつもそうですが、目の前に現れるものすべてについて行われます。単なる観光ガイドとは次元が違うのです。

 その後、横川中堂と呼ばれる首楞厳院へ。横川の本堂です。
円仁が入唐求法に赴いたとき、乗船した遣唐船を象ったものといわれ、上空から見ると船底の形をしているそうです。そういえば内部も一段低くなり船室を思わせます。

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横川中堂 堂々たる建物ですが、残念ながらコンクリート造。

  信長の焼き討ちで焼失したのち、秀吉によって再建され、さらに淀殿によって改装されたこの建物が、数多くの歴史を秘めながら、現在コンクリート造となっていることの功罪が話されました。とても興味深いお話でした。木造りの文化と日本の風土、その風土が生んだ日本仏教、その仏教のために建てられた寺院。日本文化を貫く一本の棒、とても重い話です。

 本堂を出て、正面に祀られる赤山宮と円仁、そして横にある一念寺跡で、円仁がなぜこの横川に一大法城を開いたか、義真との確執によるそのいきさつを聞きました。こんな話が聞けるのも清遊の会ならではの案内ですね。


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一念とは虚子の小説「風流懺法」に登場する僧侶の名前です。

 高浜虚子の逆修塔、秘法館跡、恵心院、そして鐘楼と含蓄のある興味深い話の連続でしたが、ここでは割愛します。とにかくすべての建物で解説があるのですから、なかなか先に進みませんね(笑)。

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高浜虚子の逆修塔 「清浄な月を見にけり峰の寺」の句碑が。
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横川の鐘楼前で。面白いお話でした。

 山の霊気を感じながら、一行は元三大師堂へと着きました。叡山三大地獄の一つ、看経地獄の拠点です。ここの本尊は元三大師良源の御影そのもの。いつも座って止観を続けていた良源の姿が壁に焼きつき、その姿を写し取った像が本尊となったと。とてつもない話ですが、ここに座るとなんだかその通りのような不思議な感覚を覚えます。

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元三大師堂。良源の魂が今も生きて充満しています。

 ここはおみくじの元祖となった元三大師を慕い、今でも進路判断が行われています。うかがったときもお一人おられましたね。
お札で有名な元三大師。皆さん思い思いにお札や数珠を購なわれました。

 四季講堂を出た一行は叡山三大魔所の一つ、元三大師御廟へ。

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御廟に至る山道を歩く参加者。気分は回峰行者です。

 昼なお暗く、別格扱いされた聖域です。叡山には珍しい数々の怪異譚を生んだ良源の墓所。まさに肌が粟立つ思いです。石柵に囲まれてひっそりと立つ横川式墓所。その横にはブナの巨木が。暁闇のなか、ここを訪れる回峰行者は必ず不思議な気配を感じるという。さもありなんと思わせるだけの霊域でした。

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三大魔所の一つ。元三大師御廟に着きました。怖いもの見たさにワクワクドキドキ。
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これが元三大師のお墓。千年このままです。思わずゾクッと。
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お墓を守るようにそびえるブナの巨木。雰囲気ありすぎ!

 その後、根本如法塔にてここから出土した国宝の経箱や経筒の話を聞きました。上東門院自ら埋納した経箱がそのまま出土したのですから、本当に驚くほかありません。
現在の塔は篤志家山口玄洞の寄進です。

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根本如法塔へ。驚きの出土品が発掘されました。

 横川を後にして峰道レストランで昼食休憩をとの予定でしたが、さまざまな障害があり、昼食も、そしてその後訪れるつもりだった西塔も行けずに終わりました。
大変申し訳ないことでした。予定通りに回れなかったことは幾重にもお詫び致します。いずれまた必ず埋め合わせをと、講師も約束してくれましたし、一人だけバスに積み残されて早速罰を受けた人もいました(大笑)。
皆さま、どうかご海容下さいませ。

坂本へ


西塔をあきらめた一行は、坂本の町を散策し、最澄が生まれた生源寺を訪れようとの講師の提案により、ケーブルで麓の坂本へ降りました。

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穴生積の石垣に囲まれた素晴らしい坂本の街道。

 風情満点の町並みを歩きながら、日吉大社と秀吉や、穴生積みの石垣の話、天台真盛宗の総本山西教寺の話などを聞きつつ、生源寺へ。

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最澄生誕の地 生源寺。

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本堂にてご住職のお話を聞きました。お坊様はみな話し好き。

 伝教大師最澄の生誕地が寺となったもので、本堂に上がると、ご住職がお出ましになり、有難いお話を聞くことができました。

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最澄が産湯に使った井戸だそうです。

 お寺を出た人々は、有名なおそば屋さんの話や、最澄によってもたらされた日本最古の茶園という「日吉茶園」を前に、飲茶の歴史にしばし耳と傾けたのち、解散となりました。

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最澄により請来された日本最古の茶園。

   想定外の探訪となった叡山行でしたが、それはそれでお楽しみ頂けたのではないかと思っています。

京都・清遊の会 活動報告 五月

五月一日 和菓子の会と無隣庵庭園・南禅寺界隈散策

五月一日、南禅寺近くの無鄰庵で和菓子の会を催しました。
無鄰庵は、もと明治の元勲・山県有朋の別荘として一般に公開されています。
和菓子の会は二階の広間で、講師の井上由理子さんから、「葵祭の神饌」と「緑の和菓子」のお話をうかがい、その後、堤講師の案内で無鄰庵の庭園や南禅寺界隈を散策しました。
前日までの雨で木々や苔はたっぷりと水を含み、いきいきした無鄰庵のお庭です。
みずみずしい新緑に囲まれた建物のなかでお話を聴き、和菓子をいただき、また庭園を散策し、楽しい1日となりました

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画像を見ながらの解説。興味津々です。
まず井上先生の講義は葵祭のお話から始まり、上賀茂神社、下鴨神社の神饌について解説していただきました。
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葵祭 華やかな装いの斎王代

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下鴨神社 神饌の調進がされる大炊殿.JPG

下鴨神社 神饌の調進がされる大炊殿

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下鴨神社 神饌

当日は上賀茂神社の神饌「はぜ」に似せて先生自らが調製された「はぜ」や下鴨神社の神饌「餅(まがり)」のレシピで調製された「唐菓子」、同じく下鴨神社の神饌に近い「洲浜」をご持参いただき、一同で味見をさせていただきました。

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「飾り粽」 川端道喜
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洲浜」 植村義次
たとえば「粽」や「洲浜」は私たちがいま和菓子として食しているもの。それが画像を見て説明していただくと神饌に由来していることが…。驚きです!
和菓子の歴史が遠い時代からいまにつながってきている、その一端を知ることができました。
次は、この時期に登場する「緑」にちなんだ和菓子を。
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「柳」

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「翠」 千本玉寿軒
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「ほととぎす 水」

緑のお干菓子 有平糖 味噌せんべい 州浜など.JPG

緑の干菓子いろいろ
有平糖、みそせんべい、洲浜など


季節の風景が凝縮されてお菓子になっている、そんな感じがしますね。
さて、いよいよ今日いただく和菓子です。
なんだろうと思いきや、井上先生おすすめのこの時期しか味わえないえんどう豆のきんとんです。
はんなりという表現がぴったりの優しい色。
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えんどう豆のきんとん「岩根のつつじ」 聚洸
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きんとんのバリエーション
白いそぼろをのせると銘は「卯の花」に。

こうした意匠や銘からは、自然を和菓子に映した日本人の知性や想像力の豊かさを感じます。溶けるようにやわらかくてきめ細やかなお味!美味しくいただきました。
和菓子はこんなに小さいけれど、歴史に根ざした和菓子の世界は深くて広いのですね。魅力はつきません。


「葵祭と新緑の和菓子」の講義に続いて、堤講師による無鄰菴見学と南禅寺界隈散策が行われました。

無鄰菴母屋の二階で山県有朋と無鄰菴、植治と無鄰菴庭園についてのお話を聞きました。
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二階座敷からみた無鄰菴庭園


「隣なき世を隠れ家のうれしきは月と虫とに相宿りして」

「無鄰菴」命名の由来となった山県の歌を教えていただき、この名前は山県の出身地山口県吉田に造られた最初の別荘に由来しており、この別荘が三つ目の「無鄰菴」であること。

世に名高い「無鄰菴会議」が行われた邸内の洋館は、山県の気に入らず、植栽で隠してしまう計画であったこと。しかしこの洋館こそ、植治こと七代目小川治兵衛の庭造りに決定的な指針を与えた二人の人物、山県有朋と伊集院兼常に植治を引き合わせた建物であること。

二階でお話を聞くうち、降りしきっていた雨があがり、天然の打ち水に満たされた緑がなんとも素晴らしい風情です。

施主の位置から庭を造る、という植治が庭造りの基本を教わった一階主室床の間から庭を見た一行は、庭園にでました。

野芝と二筋の流れ、そして東山の借景という、この庭の主題に留意しつつ、庭に置かれた石がすべて伏せてあること、醍醐の花見で切り出そうとしてできなかった「秀吉の断念石」と呼ばれる巨石がここにあること、下段、中段、上段と地勢に応じた高さの庭が、絶妙に下から見えず、歩いて初めて得心できること、琵琶湖疏水から引いた三段の滝が左、右、左と振り分けてあり、これも醍醐三宝院庭園と共通すること、そして滝や流れに仕掛けられた音の秘密など、実際に見ながらの説明だけに説得力がありました。

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秀吉の断念石
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左右に振り分けた三段の滝組

その後、庭の奥から打ち返して母屋を見る、堤講師お得意の振り返って見る景色に、途中で切り落とされた母屋の屋根などの秘密を聞き、明治天皇から下賜された若松のいきさつ、利休堂をつぶして眺望台とした燕庵写しの茶室、歴史の生き証人たる洋館などを巡りながらとても興味深い話の数々をうかがい、無鄰菴をあとにしました。

南禅寺界隈散策

無鄰菴を後にした一行は、すぐ南に見える南禅寺の総門の話、隣の瓢亭の歴史、そしていま無鄰菴が建っている場所が、もとは著名な豆腐茶屋、丹後屋の南禅寺参道に沿って設けられた三つの茶店、口丹、中丹、奥丹の口丹であったことなど、驚きの話を聞きます。
現在唯一残る湯豆腐の名店「奥丹」は明治に復活したものだったのですね。

南禅寺の参道を西にそれ、上田秋成の墓がある西福寺へ。
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西福寺門前で秋成の話を。堤ワールド炸裂です。


無腸と号した秋成。妻・胡蓮尼を亡くし、さらに両眼の明かりさえ無くした秋成に自殺を思いとどまらせたのが当寺の玄門和尚であったこと。

江戸期に文筆をもって大輪の花を咲かせた秋成の話は、堤講師ならではの文芸談義となって、皆、堤ワールドに惹き込まれていきます。

その後、湯豆腐で有名な順正へ。

奥丹にも驚きましたが、この店もまた由緒正しき歴史の舞台だったのですね。

新宮涼庭。この聞きなれない医者の旧蹟は、京都のいや日本の医学教育史上記念すべき場所であること、また扁額は京都所司代間部詮勝の筆とも知りました。

奥丹にせよ、順正にせよ、秘められた歴史の由緒に本当に驚きの連続でした。
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南禅寺勅使門 重要文化財です。妻部の笈形に特徴が。

一行は何度も南禅寺を訪れながら、ほとんどその存在すら気づかなかった勅使門の見所を教わり、楽しみにしていた慈氏院の立ち姿の達磨さんが、時間切れで拝観できずがっかりしながら、野村碧雲荘脇の素敵な道を、疏水に沿って散歩しながら、本当に楽しいひと時を過ごしたことでした。
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野村碧雲荘横の道を歩きました。とてもよい風情でした。