西陣散策 ご報告

3月30日、西陣かいわいの散策を行いました。
ことしは桜の開花が遅く、寒い日や雨の日が多かったのですが、
当日は、春の陽ざしが降りそそぐ好天に恵まれました。

堀川通沿いで、応仁の乱のお話から。 西軍・東軍の本陣がいかに近接していたか、宝鏡寺近くの百々橋は激戦地だったそうです。

山名の辻子(ずし)から紋屋の辻子へ。

「首途(かどで)八幡宮」



平安京大内裏の東北(鬼門)に位置し、王城鎮護の神で、古くは内野八幡宮と呼ばれていました。源義経出立の地の伝承があります。清遊の会では、奥州平泉とのかかわりを学びます。

お隣の桜井公園は地元の人々の憩いの場。西陣五水の「桜井」が復元、整備されています。


落慶法要の行われる「本隆寺」へ。
本隆寺は法華宗真門流の総本山。約7年の歳月を経て、再建以来350年ぶりに本堂の大改修が行われ、このほど落慶されました。二日間にわたり盛大な法要が営まれています。





堂内は美しく荘厳され、内部の柱の彩色なども見事です。
本隆寺は1488年、日真大和尚が開創。以後幾多の苦難を乗り越えてきました。本堂には、江戸時代、二度の大火から寺を守ったとされる「鬼子母神」も祀られ、人々の篤い信仰を受けています。

本堂裏に掲げられる岸竹堂の筆になる画には、鬼神と童子が描かれます。「雪山(せっせん)童子」の説話だそうです。

「鳥岩楼」さんでお昼休憩、
午後からは「雨法院」を訪ねました。
「雨法」は法雨が宝のように降る、の意。
大聖歓喜天(聖天)が祀られています。

観音堂で、秘仏「千手観音像」を拝観。ご住職のご説明で、平安初期の観音様を間近でゆっくり見学、お参りさせていただきました。



近くの「岩上(いわがみ)神社」にお参り、千本通の「釘抜(くぎぬき)地蔵」へ。

正式名称は「石像寺(しゃくぞうじ)」。山号を家隆山(かりゅうざん)。
鎌倉時代の歌人、藤原家隆の屋敷跡と伝わります。

ご本尊は地蔵菩薩(釘抜地蔵)。そして本堂の後ろに安置されるのが石仏・阿弥陀三尊と弥勒菩薩。素晴らしかったですね!
ご住職から、葬送の地・蓮台野へと続く当地のこと、石仏、弘法大師の加持水のお話を聞き、

石段を降りて、満々と水をたたえた加持水で清めさせていただきました。


お寺でご用意いただいたお茶をいただき、ほっこり。今日の散策は終了となりました。
短い距離でしたが、ずいぶんと歩きましたね。
お越しいただきました皆さま、有難うございました。

 

初詣案内ご報告

本年のご案内は、1月20日、寺町通の廬山寺・梨木神社・清浄華院からはじまりました。

廬山寺(ろざんじ)
延暦寺の元三(がんざん)大師良源によって船岡山南麓に建立された與願金剛院(よがんこんごういん)が始まり。
そして平安時代中期には「源氏物語」を執筆した紫式部の邸であったと伝わります。
今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」の人気で、朝から拝観者がぞくぞく…。
「京都・清遊の会」は25人の団体です💦(笑)

元三大師堂では、鬼大師像はじめ数々の仏像を拝しました。

苔と白砂の美しい源氏庭。座ってお庭を鑑賞できます。


雨のせい?カメラのせい? かすんでしまいました<(_ _)>

紫式部と娘の大弐三位(だいにのさんみ)の歌碑の前で、詳しくレクチャーしてくださった参加者のお話を熱心に聴きました。
「京都・清遊の会」超真面目!


梨木(なしのき)神社

明治18年(1885)、明治維新に功績のあった三條実萬(さねつむ)をご祭神として旧梨木町の当地に創建。さらに大正天皇即位にあたり、子の三條実美(さねとみ)が合祀されました。
「染井」の水は名水として有名ですね。
そして当地を流れていた中川は「源氏物語」にも描かれています。

摂政・太政大臣となった藤原道長の邸宅があった土御門第跡(京都御苑)にも立ち寄り、清浄華院へ。

清浄華院(しょうじょうけいん)
貞観2年(860)、清和天皇の勅願により、延暦寺の慈覚大師円仁によって、「禁裏内道場」として宮中に創建されたのが始まり。浄土宗の大本山寺院です。


大殿(本堂)では、皇室にゆかりのお話や法然上人像について、また当寺に伝わる「泣不動尊像」とその縁起絵巻について詳しくお話いただきました。



こちらでは通常拝観はされていませんが、このたびは私共の訪問に、貴重なお話をお聞かせいただき、興味深く、楽しく、時間を忘れるほどでした。

充実した見学の最後は、「御所雲月」さんの昼食で締めとなりました。
ご参加の皆さま、朝は雨天の中、お越しいただき、ありがとうございました。


清浄華院境内には、近くの、藤原道長の建立した大寺院・法成寺(ほうじょうじ)推定地から出土した大きな礎石と石仏が保存されています。